伊藤ひであきの視察報告

長野の街なみづくり 05.09.30

 日本アルプスの清流を集めて流れる犀川と詩情豊かな千曲川が流れる長野盆地の県都―長野市。推古天皇の昔から善光寺信仰の門前町として栄え、地域の政治・経済・文化の中心地として役割を果たし、北国街道の宿場町として商業都市が形成されていき、109年前の明治30年の市制施行とその歴史は古い。

 平成10年の冬季オリンピック開催は記憶に新しい。その年の3月議会本会議一般質問で取り上げた。
 「そして、もう一つ感動するのは、今回の冬季オリンピックが人口35万の豊橋と同規模の長野市を中心に行われたという事実であります。地方から全国へ否、世界へさわやかな夢と感動を発信できるという地方が主人公の時代の到来を実感します」と。

 平成11年4月には豊橋市と同じく中核市に移行し、本年1月には1市3町と編入合併し、面積が738kuと2倍になり、人口は約38万4千人。「都市と自然が調和する多軸都市ながの」の創造に取組んでいる。

 その長野市と我が豊橋市、中核市平均と比較すれば(失礼をお許しください)H15年度決算でみれば財政力指数0.736(豊橋0.91、中核市0.79)、公債費比率20.9%(豊橋11.2%、中核市16.0)と財政環境は厳しい。製造品出荷額も4034億円(豊橋1兆500億円)と経済環境も厳しい。
 であるがゆえに年間600万人の観光客、同じく真田十万石の城下町の松代地区は30万人の観光客を迎える観光資源を最大限に生かした観光交流推進戦略「観光都市ながの」が策定されている。

 しかし、長野自動車道、上信越自動車道、長野新幹線と長野オリンピックを目途に整備されたインフラは通過観光地の格好の条件となってしまった。いかにして滞在型の観光都市に変貌させるか。
 よって善光寺周辺地区における「寺屋根を望む街」づくりや松代地区における「ゆったりと歴史(とき)を流れる城下町」をめざした街なみ環境整備は長野市の生命線でもある。
 「長野市の景観を守り育てる条例」「長野市景観賞」など魅力ある景観づくりのための様々な施策が展開されている。
 ・2階建て以下として、母屋はできるだけ道路から後退させる。
 ・屋根は和瓦を使い、勾配屋根とする。
 ・壁は漆喰・土壁・板等とし、色は白または茶系統で統一する。
 ・建具は木製またはアルミサッシで色は黒かこげ茶色とする。
 ・格子をつける場合は松代格子のデザインとする。
 ・露出した駐車場などは塀や生垣で隠す。
 ・野外設備機器や自動販売機などは露出して設置しない。
などなどきめ細かい指針をもとに「地区街づくり協定」を結び、そのための補助金も最高300万円までを国1/3市1/3負担で用意している。

 当然ながら、市民の財産に条件を提示するのであるから、行政主導では成果は収められない。行政は街なみ整備事業として、道路の美装化や小公園の整備などのバックアップを行い、主役は住民であり、「長野の街なみ環境整備事業」は住民主導型の事業である。

 市民との協働の街づくりを掲げる自治体は多い。しかし、それが街の生き残り戦略とリンクすれば全く重みが違ってくるし、切迫感も緊張感もある。「長野の街なみ環境整備事業」は「市民協働の街づくり」そのものである。

 人が輝く、地域が輝く、ふれ愛ながのの「ゆかしくて新しい街づくり」に期待したい。

 視察に際し、長野市議会議事調査課の浅川係長をはじめ関係各位に大変にお世話になりました。ありがとうございました。


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