伊藤ひであきの市政報告

2005年3月定例本会議 一般質問
2005年3月 ●一般質問第一問 豊橋活性化の再質問(3/8 03:00)
(1)「MAGロード」の拡大、充実により「東海三県が一つの時代」が到来している。その流れに豊橋は取り残されているという危機感は市長にあるか。

 東三河地域への重点投資という表現でお答えいただいたが、じゃ、その重点投資とは何に向かってなされなければならないのかということであります。
 何よりもこの地域の地域戦略を考える場合に第一義に考えなければならないのは「三河港関連投資」であり、来年度の中頃には(今年の初秋)三河港港湾計画改定の大筋が発表されるところまできましたが、「特定地域プロジェクトチーム」を立ち上げて進行している「国際自動車産業交流都市計画」による地域再生との関連も含め、市長は大筋の計画の中で何が、どこまでのメドがつく確信があるのか、伺っておきたい。

(2)今春の新豊田市、新浜松市、そして今秋の新田原市に囲まれ、我が豊橋市の周辺市町村への求心力をどう考えているのか市長に伺いたい。

 豊田市、藤岡町、小原村、足助町、下山村、旭町、稲武町の7市町村は、平成17年1月20日付けの総務大臣の告示を経て、合併についての事務手続きが完了し、平成17年4月1日に、「水と緑の産業都市」を目指して新「豊田市」が誕生します。 愛知県で名古屋市についで40万都市新豊田市が発足するわけです。

 2月に足助町や下山村、稲武町をかけめぐり、「豊田市との合併について」多くの町村会議員さんや、明日を担う若い世代の方々にお会いし、対話しました。
 「地域がなくなるわけでも、古里がなくなるわけでもなく、地名は変わっても、なんといっても大トヨタとともに町づくりを行っていかなければ、地域は生き残れません」という言葉が跳ね返ってきたのにはむしろ驚きでした。
 豊田市と周辺の山村の合併を豊橋から見るときに「生活圏の異なる町同士が一つになれるのか」という疑問が私自身の中にあったからであります。しかし、それは全くの杞憂でした。それらを超えたところに豊田市の求心力があったのです。

 また、今春、浜松市、浜北市、雄踏町、舞阪町、三ヶ日町、引佐町、細江町、天竜市、瀧山村、春野町、佐久間町、水窪町の16市町村の大合併がなり、人口80万人の新浜松市は2年後の政令指定都市をめざすことになります。
 これらの地域にも足を伸ばし、大いに語り合ってまいりました。様々な意見がありましたが浜松市まで車で2時間から3時間はかかる北遠の水窪町でも「合併というバスに乗りおくれるな。駿河の国が静岡・清水の連合体になったのだから、おらが浜松の殿様のもとにはせ参じなければ」という言葉を聞いたときには、まさに浜松の持つ遠心力というのか、求心力というのか、をいやというほど思い知らされました。

 先の岡本議員の質問に答えても三河市構想については「住民の意識の高まりが肝要である」との従来の考え方から一歩踏み出そうとする市長の熱き思いは感じることができません。
 確かに、この地域の「三河市」構想のためには二段階の醸成が大事であり、産学官交流サロンで市長が話されたように「消防通信指令事務」や「東三河全体での教員の採用・配置」「国際交流や研修生の受け入れ」などの広域連携や協力体制でハードルを低くしていく手法は大事です。

 しかし、私が申し上げたいのは答弁にあったように「東三河の中心都市としての役割」すなわち吉田の殿様のご威光が周辺の民には伝わっていないことが問題であると指摘しているのです。ご所見を伺いたい。

(4)「街づくりは人づくり」である。人間力、地域力をどのように街づくりに集約していくのか伺いたい。

 豊橋の民の知恵、これは答弁にあったような技科大などの地域資源を生かした産学の力をまちづくりに生かしていこうとすること以上に生活に根ざした素晴らしいものがあると思っています。

 1月31日に4000個にのぼる夏みかんが収穫されましたが、青陵街道に夏みかん並木を45年前に作ろうと穴を掘った青陵中学の生徒会の知恵と実践。
 昭和33年から歴史を重ねてきた「造形パラダイス」のものづくり活動と孫の作品を、我が子の作品を見るために豊橋公園に集い対話が弾む「造パラ」運動。
 成人式を校区毎に行い、地域の人たちに見守られ、小学6年の時の担任が駆けつけ再会と成長を喜び合う豊橋方式の成人式。
 「子ども110番の家」の軒先にプランターを置き、登下校の途中に種をまき、水をやり、地域と子どもの交流を通じて、「いざ」という時の人間関係を深める交流事業など、街角の「豊橋ブランド」は枚挙に暇がありません。

 そのような力をどうまちづくりに生かしていくかという戦略は第二問の地域情報化の中で取り上げることにしますが、私はこれら「手作りの豊橋ブランド」を100周年を機に一度まとめて後世のために残すべきだと考えますが、どうでしょうか。

(5)経済特区、地域再生、都市エリアなどの地域戦略を、今後、どのように産業振興に展開させていくのか伺いたい。

 「都市エリア産学官連携促進事業」は過日もホテル日航豊橋で「成果発表会」が行われ、農業、医療、福祉、環境などの地域資源への情報通信技術の応用を目指し「スマートセンシングシステムの開発」の共同研究や技術移転、製品化などの取り組み成果の発表がなされていました。

 しかし、冒頭に申し上げましたようにMAGロードが名古屋都市圏が産業・技術・経済・文化等の中核圏域として発展していくための基盤として大きな役割を果たす戦略道路であるならば、そのエリアから大きくはずれた我が地域は「今後は企業誘致や新産業創出という戦略が後手に回る可能性がないのか、その危機感はあるのか」とお尋ねしているわけです。ないとすればMAGロードをしのぐこの地域の優位性は何なのか。お答えください。

 また、とにかく特区に地域再生の計画ばかりがズラーと並んでいます。
 「国際自動車特区」「次世代型豊橋農業創造計画」「国際自動車産業交流都市計画」「とよはし行政サービスアップ構想」「とよはし国際交流構想」「東三河の顔再生計画」。プランプランです。
 どこに力点が置かれ、どこが優先され、何をやろうとしているのか、よく分からないのです。

 将来都市像でも「笑顔がつなぐ緑と人のまち」「健康とよはし ヨーイドン」「スポーツのまち−とよはし」「IT活用のまち−とよはし」「自転車のまち−とよはし」「子どもの笑顔が溢れるまち−とよはし」「すこやか親子−とよはし」。まちまちです。
 結局、どのようなまちづくりを目指すんですか。お尋ねします。

(3)「ポスト万博、ポストセントレア」を視野に自立した豊橋地域の活性化への今後の展望を伺いたい。
(6)地域活性化のポイントは「道路ネットワーク」である。23号バイパスや第二東名、三遠南信道の道路戦略を伺いたい。

 岡本議員が問題提起した公債額のピーク、団塊の世代の退職による退職金額のピーク、そして人口減少の始まりという「2007年問題」を指摘していましたが、「中部の2007年問題」があります。

 これは大プロジェクトは、東京五輪(’64)大阪万博(’70)札幌五輪(’72)沖縄海洋博(’75)成田空港開港(’78)筑波科学博(’85)関西空港(’94)長野五輪(’98)の8事業が対象とした本番の年の前後3年間の経済成長をみてみると、開催年から2年後にその地域の経済成長率は大きく落ち込むというデータです。

 「中部国際空港」、「愛・地球博」の二大プロジェクトの本番である2005年の2年後、すなわち2007年以降のこの地域の経済の落ち込みを覚悟しなければならないというデータです。

 その上で、答弁にあったような国道23号豊橋・豊橋東バイパスの整備、次に三河港から東名高速豊川ICへの高速アクセス、すなわち国道151号立体化などはポスト万博、ポストセントレアの重要な道路戦略であるとするとき、この2007年問題は大きな壁になると考えるが認識を伺いたい。

 併せて、豊田市界隈に見る第二東名の林立する橋桁、浜北や森町など静岡県側の第二東名の進捗状況、豊川橋の無料化実験どころか静岡県の国道1号バイバスの無料化は4月からなされるという事実。

 これらを組み合わせると、もはや東三河は神田知事から見放され、「勤労福祉会館を使いたければ差し上げますから、しばらく、それで我慢しといてや、当面、愛知県二番目の都市−豊田をバックアップしますから」となんだ、かんだと見放されだした状況ができつつあるというのが、現在の豊橋の置かれた状況ではないのか。
 市長のご所見を伺いたい。


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