伊藤ひであきの視察報告

長崎の健康21の取組み 04.08.03

 長崎は夏の雲が立ち上がり、太陽が生命力を満々とたたえて輝いていた。

 鎖国時代は西欧に開かれた唯一の窓口となり、明治・大正期は中国との交易で栄え、太平洋戦争では造船業で世界を駆け巡り、昭和20年の原爆被爆で焦土と化し、昭和30年にはセントポール市と日本で最初の姉妹都市提携を結び、昭和57年には未曾有の大水害を受け、その度ごとに立ち上がり、日本の激動の歴史の中で走り続けてきた長崎は今年、被爆59周年。
 「核兵器廃絶・世界恒久平和」を訴え続けて「活力と潤いにあふれ、歴史がいきづく交流拠点都市」をめざす長崎市。

 この長崎市は高齢化率が20%を越える、また生活習慣病による死亡率は65%と高く、部位別悪性新生物死亡率も国よりも高い。こうした背景もあって42万人の健康づくりをめざす。

 ベースとなる「健康長崎市民21」計画は平成13年度に作り上げられた。普通、こうした計画を作るときは、豊橋の場合でもそうであるが関係各界のトップ(市保健所、市医師会、商工会議所、農協女性部会など)がメンバーに加わる。

 しかし、長崎では「すべての市民が健やかで心豊かに生活できる活気あるまち」にしたいという夢の実現のためにトップの人や専門家は参加しないとした。生活者自身である市民中心に例えば、自治会などの健康関連部門担当者、地域の生きがい作り関連団体の構成員とか地域の育児支援関係者などが加わって、計画作りのための「市民懇話会」が取り組んだ。ここがユニークである。
 メンバーの中には子育て中の女性もあり、託児所も設けた。また学生や、まな板のない生活をしている若い人たちも熱心に参加してくれたという。

 こうしてできあがった「健康長崎市民21」計画の目標年は2010年。あしかけ10年かけて、ライフステージ別の健康づくりのため数値目標を明確にした。
 また、健康を最終目的と捉えず、それぞれの望まれる生活の質(QOL)を豊かにするために健康づくりの目標を決めて、日常の行動目標を具体化したことも特徴的。

 この計画を推進するための「市民推進会議」も同じようなメンバーが加わり、高齢分科会、母子分科会などに別れ、市民推進会議の運営やイベントの開催、シンポジュウムの開催などに取り組んでいる。

 市民に周知徹底するために、計画書は「健康生活コッコデショ、モッテコーイ、モッテコーイ」として「健康生活をここ(長崎)でしよう」とサブテーマを設け、長崎くんちの出し物に観客からかけられるアンコールを使っている。また計画書の案内係りはヘルシー家族の出島健生さんと充子さん夫婦などがカットで現れてユニークな体裁となっている。

 市民健康づくり運動は始まったばかり、今後のプロセスを注視したい。


 夜、宿泊地から歩いて5分のパーキングビルへ行った。坂道を登り、階段を30段ほど登ったその場所には、小さな地蔵小屋が建てられ、ユリの花や飲料水が一杯並べてあった。峻厳なその場所で合掌し、立ち尽くした。しばらく、動けなかった。
 昨年7月の衝撃的な12歳少年による4歳の男児が誘拐されて突き落とされた現場である。


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