伊藤ひであきの地方からの提言


年頭所感 現場主義に徹し、時代を拓く      2003.01.15

●夢を大きく持てる社会に
 一昨年の9・11、そして昨年は9.17の北朝鮮による拉致被害者の生存と死亡が一方的に発表されるなど、世界中を重苦しいニュースが飛び交いました。

 新しい年が始まっても「失われた十年」の漠然とした不安や重苦しい閉塞感が列島全体を覆っています。
 それに北朝鮮とアメリカの関係が悪化し、拉致被害者は残してきた子供と会えないのではないのかという虚脱感が輪をかけています。3月の年度末に向かって多くの倒産と失業が予測されています。
 そうした中で「Koichi Tanaka」とは誰なのか、ノーベル化学賞の受賞者の発表当日の夜、どの報道機関の記者も戸惑ったといいます。何よりも「どっきりカメラ」の番組と思ったと驚く田中さんの笑顔が爽やかな感動を与えてくれました。

 この田中さんの影に隠れた形になりましたが、豊橋で生まれられ、一時期東田尋常高等小学校で過ごされた小柴昌利東京大学名誉教授がノーベル物理学賞を受賞されました。豊橋市民として心からお祝い申し上げるものです。ちなみに当時の東田尋常小学校は東田町西前山にありました。私はその東田尋常小学校のグランドだったところに住んでいます。

 昨年11月に、そのお祝いに東大本郷キャンパスを訪問した早川豊橋市長に小柴先生は子供たちへのメッセージとして「夢を大きく持ってその実現に努力しましょう」というメッセージを託されました。このことは広報「とよはし」新年号に掲載されています。

●引きこもる子供たち
 今や、人生に疲れた大人が年間3万人も自殺します。交通事故による年間死亡者の3倍です。1日80人です。

 子供が時代を映す鏡なら、今の時代の子供がこうした現実を前にして夢を大きく持てるわけがありません。現に、何不自由なく育てられたはずの子供が部屋に引きこもって学校に行きません。そういう不登校の子供が豊橋でも580人もいます。

 私達が子供の頃は子供部屋がある友達などまれで、うらやましく思いました。兄弟が多く、引きこもっていては飯にありつけませんでした。引きこもろうにも牛小屋しかありませんでした。

 私たち団塊の世代は親が泥まみれ汗まみれになって働く姿を見て育ちました。職と住がくっついていたからです。「勉強して官庁か銀行、大企業に行こう、いい就職をしよう」と競争でした。

 今や、どこに就職したらいいのかも不透明です。テレビでは官僚の不祥事や大企業のウソが報道されます。また銀行や有名企業のリストラや倒産が伝えられます。
 職と住が離れているので、働いている親の姿を見る事はまれです。そして、日曜日に疲れて寝ているお父さんを見て「いい就職はこんなものか」と子供は親が期待するほど勉強しません。

●現場主義でしなやかに
 一方、日本の政治は今や霧の踊り場です。「改革なくして成長なし」何度この言葉を聞いてきたでしょう。言い換えれば「今のように改革が中途半端だと成長はない、すなわち沈没」を意味します。全てに先送りしてきた日本病が、行政に、政治家に、マスコミに蔓延し、この危機的状況を把握できないままです。
 国の総合デフレ対策も地方を元気づけるメッセージなどはでてきません。

 豊橋では「三井造船による焼却炉受注工作疑惑」や「競輪場経営問題」など議会が先導的に果たさなければならない重要項目が目白押しですが、議会がどこまでこうした課題に真正面から取り組めるのかどうかが問われています。

 子供たちが夢を大きく持てるような社会を作ることがこの社会を築いてきてしまった大人の責任です。なかんずく政治に携わる私たちの責任です。
 同じように青年が夢と希望を持ち、その無限の力が生かされる社会の実現を目指さなければなりません。若者は文字通り「今日の日本であり」「明日の日本」そのものですから。

 私たちは今、豊かであって豊かさが実感できない奇妙な逆境にあります。しかし、失望しても絶望せず、田中さんや小柴先生に代表されるように科学や技術界のある部分では「失われていない10年」も走っているわけで、暮らしの足元をみつめ、屈することなく竹のようにしなやかに生きていきたいものです。


 今年も黙々と現場主義に徹し、頑張ってまいります。


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