伊藤ひであきの視察報告

風の見えるまち留萌の風力発電 2002.07.03

 旭川から深川に出て、単線のJR留萌線でトコトコと1時間、日本海側の留萌市である。留萌市の歴史は古く慶長年間には松前藩によるアイヌの人たちと交易する場所として「ルルモッペ場所」が開設されたのが始まりといわれる。

 留萌の名を馳せたニシン漁は、昭和30年を堺に大きく落ち込んでいったが、今は「数の子」の国内有数の生産地であり、全国の5割を占める。イギリス人メーク技師が港湾調査し「商業港として最適」とした明治20年から港湾建設が始まり、昭和11年に留萌港が開港。昭和27年に重要港湾に指定され上川、空知地方の流通拠点港湾として、沖合・沿岸漁業の基地として重要な役割を果たしている。

 「ひと・まち、ゆめ・みなと 翔く留萌21」をテーマに、港を中心とする交流拠点都市を目指している。人口28,000人、面積298ku。

 この留萌市は早くから地域振興の具体的な活動を図るために”新エネルギー”をキーワードに取り組んできた。

 昭和49年からは火力発電所建設誘致を推進、それが不可能となると、昭和55年には全国自治体に先駆け「企画室資源エネルギー課」を設置。さらに昭和56年には「留萌市総合エネルギー振興推進協議会」が設立され、行政と連携の下風力・波力・石炭・バイオマス・海洋開発など幅広く調査研究し、海にこだわった街づくりに取り組んでいった。

 特に昭和58年秋に旧通産省のサンシャイン計画の一環として、NEDO(新エネルギー産業技術総合開発機構)が礼受高台で1,000kW級の大型風力発電技術開発のため、風況調査を実施し、平均6.0m/sのデータを得ている。

 平成元年には「留萌市海洋開発推進協議会」が設立され、風力・波力の新エネルギーの導入について可能性を調査し、平成3年8月から1年、塩見高台風況調査も行い年平均6.0m/sなどの調査結果から風速及び風向ともに、風力発電事業に適しているとの結論に達し、現実となった。平成9年12月には風力発電施設が設置され、具体化が実現されていった。

 こうして日本海を見下ろす小高い丘の礼受牧場に400kwの発電能力を持つ35mの風力発電施設が6機、昨年11月には45mの高さ、740kwの発電装置が4機設置されるに至り、売電を目的とした風力発電のデンマーク製の風車が10機林立することになった。総発電量は1,170万kW/年。これは一世帯の年間使用電力量を3,600kWとすると約3200世帯分の電気を賄う事ができる数字である。管理運営はエコ・パワー株式会社(本社:東京)

 留萌市の風力発電施設は民間企業の施設ですが、まちの活性化につなげるために風力発電施設が建設された礼受牧場に平成10年度に畜産館が建設され、日没から午後10時までのライトアップも始まり、留萌の新たな観光スポットとして注目を浴びています。

 また、礼受牧場の眼下に広がる海岸線は”ふれあいの海辺”をテーマに整備していて、このエリアには日本一の夕陽のポイントとして知られる黄金岬のほか、浜中海浜公園、浜中運動公園などがあり、今年度完成する西海岸線道路とあいまって点から線への一大観光地として注目を浴びている。

 風力発電10機分の固定資産税は17年間で約1億1千万円が見込まれ、厳しい市の財政にとって貴重な財源となっている。

 留萌市では平成10年度に資源循環型ゴミ処理施設「美・サイクル館」を設置し、生ゴミや資源ごみを分別回収し、有効に利用するリサイクル方式を採用している。このように留萌市は「風力発電施設」と「美・サイクル館」を両輪として、環境に配慮した行政を進めており、この取組みは全国の注目を集め、全国から多くの視察が訪れている。

 小さなまちの長い取組みを象徴するかのように、風に向かって風車が毅然と立っていた。明日に向かって。


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