(1)市民意識調査(2)行政手法について(3)自立した街づくり(4)市民の役割
過日の特別委員会でも申し上げたが、昭和62年3月、今から15年前の3月議会。私はこう申し上げた。
「昭和54年頃から企業は全社的に方針管理と総合品質管理という手法を導入して、長引く円高不況の中で行きぬく道を真剣になって考えました。そして企業方針、企業目標をもっとも効率的に達成するための管理手法として定着ささせました。企業と行政は違うという意見があるかもしれませんが、違うなら違うなりに民間に学ぶべき点は学んでいくという姿勢も必要でないか。
その基本となるのはplan、do、chekku、actionのPDCAであります。観光ホテルの板前さんたちが、あったかい茶碗蒸しを団体客に一度に出すのにはどうしたらよいか。
ゴルフ場のキャディさんたちがロストボールが多いホールの統計を取って、どこの位置でボールの行方をみておればいいのかという工夫を繰り返している。豊橋市行政にこうした管理手法を導入される事を提案します」と申し上げた。
当時の水野企画部長は「PDCAにつきましては一定の参考という形で勉強はしてまいりたいと考えています」。
勉強されて15年。今、豊橋市行政の中にPDCAサイクルを基本に、行政評価システムが導入されて、3年目を迎えています。よくぞ粘り強く勉強していただきました。
厳しい経済情勢の時代だからこそ、自立的な自治体経営の時代を迎えているからこそ、この行政評価システムを総合的な評価システムに、懸命になって確立していただきたい。
その上で「行政経営フォーラム」と「時事通信」が2000年3月、すなわち豊橋に行政評価システムが導入された直後に行ったアンケートの結果がある。
「あなたの自治体で行政評価をテコに次のことが実現できるまでには、約何年かかると思われますか」という質問で、その中で「各部課の使命、戦略が明確になり、それぞれの事業、業務の達成目標が期限とともに明確にされているか」の質問に63%の自治体が「あと2〜5年」と答えている。
行政がこういうことをやるとこうなるのかと残念に思いました。企業だったら、そんなのんびりしていたら、潰れてしまう。極端な事を言えば、導入しようとしたその時から結果が求められるのです。
役所というところは前例にないことに対する拒絶反応が根強いのか、職員の理解と協調を得るための内部調整的な業務にコストとエネルギーをかけすぎるのでないか。モデル事業評価を1年、事務事業評価を全庁に展開して1年、今年決算予算に連動させて1年、来年度は施策評価に展開するという。
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それで、答弁にあったように「厳しい社会、経済体制が色濃く市民の中に影を落とす」閉塞感がすっぽりと日本を覆っています。
その中で、それらを吹き飛ばし笑顔でつなぐ緑と人のまち」をどう作っていくか。
「自助」「自立」のまちをどうつくっていくか。市政の基本的な取組みを改めて伺った。
当然、昨今の地方財政危機の状況からは、メリハリのある優先順位で街づくりを行っていかなければならないし、市民に一定の「負担」と「痛み」もお願いしなければならない。地方自治とは言い換えれば地方財政の自治ではないか。住民の負担でサービスを支え、住民自らが負担と支出を選ぶということではないのか。
地域のサービスを広げるなら、住民の負担が増える。負担がいやならサービスを縮小する。もはや「サービスを広げよう。そのために国庫補助金や地方交付税を増やそう。もらいにこう」というやり方は地方自治とはいえないのではないか。
「地方分権の試金石」といわれる介護保険は市町村ごとの保険料には差があります。最高は4500円、最低は1500円。3倍の開きです。全国の平均は2900円。豊橋市は2757円です。
介護の必要度の差、施設に入る老人が多いかどうかなど必要となる経費と保険料を納める老人の数によって決まり、その自治体の介護に対する顔が見えます。だから地方自治の試金石と言われるわけです。
ゆえに、行政評価は各自治体で手作りで作るものであり、使いこなすものであり、その答えは市民の中に、市民の生活現場にしかなく、さらに答えは「無数」にあるはずです。
むしろ、行政と市民がその議論のプロセスで形成されていくものであり、行政と市民が協働で創っていくもの、それを貫くには市民と共有しながら実行していく意思(Will)が最重要。これこそが行政評価システムに息を吹き込むことができる。
(3)よって現在、市民各層の代表による行政評価懇談会で一定の検討がなされているが、例えば埼玉県志木市では「市行政評価条例」を作って「妥当性」「効果性」「独自性」などから市民にチェックしてもらおうとしている。
あるいは多数の自治体ですでに実施されている「パブリックコメント」など