伊藤ひであきの市政報告

2002年12月 ●一般質問の第二問のポイント

2.競輪事業の今後について

 そこで先ほども申し上げましたが、これからの地方行政は「あれも、これも」でなく、負担とサービスを絞り込んで、市民とともに地域特性を生かした自立の街づくりにとりくんでいく以外にない。

 そいうした中で、例えば合併問題でも、岐阜県白川村村長は「世界遺産の合掌造りを守りながら村民とともに村を守っていきます。例え財政的に苦しくなっても高山市との吸収合併協議から抜け出させていただきます」という。これも納得です。
 あるいは、福島県矢祭町は「先人から受けた郷土を21世紀に生きる子孫に引き継ぐことが、今、ここに生きる私たちの使命」といって「合併をしない宣言」をした。平成の大合併という潮流に流されまいとする自治への強い自負と高い志がある。

 11月26日、競輪事業に一定の結論が出ました。市長は「様々な角度から検討し、競輪事業に対する基本的な考え方−税金を投入してまでは継続しない事を前提に、示された支援策を踏まえ、平成15年度は競輪事業を行う」と発表。

 私自身は豊橋競輪場の一番近くに住む市会議員です。10月10日の「豊橋競輪場を今年度限りで閉鎖する」旨の方針に対しては「あまりにも早急な結論すぎないか。
 地域経済を沈滞させるだけでなく、課題山積。300人を超えるパート職員、場内外の売店、33箇所の借上げ駐車場などの今後について責任ある対応を。
 また競輪場一帯を幽霊屋敷にしないために公共施設の再配置を図るべきである。
 公営ギャンブルに税金は投入できぬという前に、その事態を招かぬようにどれだけの汗を流してきたのかを総括すべきだ」と街頭演説を行い、地域住民にその趣旨の「ひであきレポート」を配ってきました。

 その上で多分、早川市長は11月末には次のような結論を出すだろうと確信していました。
 それは「豊橋は環境文化都市をめざしています。その将来都市像から考えるに単年度赤字が続き、記念競輪誘致もままならない現状から、豊橋競輪の役目は一定終わったと判断し撤退を決意しました。
 それ以降、上部団体から支援策も示され継続も視野に再検討しましたが、あくまでも予定であり、その通りいくかどうかは分かりません。自治体はギャンブルはできません。先に決断したとおり本年度限りで競輪事業から撤退する事に致しました」とするのが、早川市長の早川市長たる所以であると確信していました。

 市長になられたいきさつ、次世代焼却炉導入のプロセス、今日までの早川市政6年を見てきた一人として、市長はこういう人だと思ってきました。そういう市長に市民はこの難しい時代の世紀の変わり目の舵取りを付託しているのだと考えてきました。が結果はそうではありませんでした。

 (1)地元新聞によりますと、市長は11月26日の午前5時頃、すっきりとした頭で決められたそうですが、昨日の地元新聞は「殿ご乱心」などと書いていますが、私はそういうふうには思いません。ただ今時の午前5時というのはまだ真っ暗ですが、何かお告げでもあったのですか。
 または朝方の夢の中に自転車が一杯でてきたのですか。まずお伺いいたしたい。

  豊橋は愛知県二番目の都市であり、中核市であり、もうすぐ100周年を迎える歴史と風格ある都市であります。豊橋市長の発言は重いはずです。
 50日の間に「撤退」から一転、「継続」を打ち出すようなドタバタをやっていると周辺市町村から笑われますよ。「豊橋はどうなっとるのやね」周辺の市会議員や町会議員からいわれた言葉です。
 こういう結論を出すなら、黙って全力で取り組むことが市長の仕事ではないのですか。

 中日新聞に地元東田町東部、西部の総代さんの言葉が載っていました。「撤退にせよ、存続にせよ場当たり的」「最初から存続の道があるのなら、ああいう短絡的な結論を出す必要がなかったのではないか。今後は行政の長として慎重に決めるところはピシッとことを進めて欲しい」。手厳しくも明解です。

 「市長は筋を通すかと思っていたらそうでもなかった。競輪のことより市政そのものに不信感を持った。裏側で決め、裏側で撤回して開かれていない」という声もあります。
 それとも市長、遅々として進まない競輪業界の構造改革のためにあえてとった「地方からの反乱」の第一幕なのか。であるなら拍手喝さいです。伺いたい。

 (2)支援策を打ち出した全国競輪施行者協議会−全輪協というのはどういう団体でしょうか。全国47の競輪事業を行っている、すなわち北は函館競輪場から南は熊本競輪場までの施工者が参加しているのです。ご多分にもれず黒字は2箇所だけ、であるがゆえに平成17年に「ふるさとダービー」を誘致しようと懸命なのです。

 その人たちにとって、答弁にあったように「平成17年は豊橋で行うことが、このような経過の中で決まった。あるいは新賭式機器導入の助成金や記念競輪の売上げ協力など豊橋だけ特別扱いされる」という情報は極めて生々しい情報なのです。
 私はこの1ヶ月の間に大垣競輪、岐阜競輪、一宮競輪、蒲郡競艇、11月30日は名古屋競輪と回ってきました。ある競輪場の責任者は「こんな馬鹿なことがあるのか。ふるさとダービー誘致の戦略を変えねばならん。かねがねこの団体には意味不明なお金の流れがあると聞いていたが、やはりそうだったのか」と嘆いていました。

 本来、こういう情報は内々で折衝した上での表に出してはいけない情報なのではないのですか。何度も東京に足を運んでこういう約束事を掴み取ってくるために上京しているのではないのですか。
 弥彦村の村長さんを凌ぐ熱意と執念で粘り強い折衝がなされてきたのかどうかです。
 「場外を売らしてくれと頼みにはくるけどなかなか豊橋さんは頭を下げていかん」全国を回っている選手の方が聞いてくる言葉です。

 折衝ということが、営業ということがどういうことなのか、ギリギリの状況の中で相手の懐に飛び込んでの詰めとはどういうことなのか。解っていないのではないのですか。子供の使いをやってきたのではないのですか。伺いたい。
 また、ひとたび、競輪場の責任者になった人や市職員は、その日から店長、マネージャー、営業マン、経営者になって取り組む。そういう素質ある人を送り込む。いなければ外部から招聘する。そうでないと継続する意味がないのでないか。お答えください。

(3)全国ではこの10年に競輪売上げは4割下がった。ところが豊橋では6割さがった。この原因をどうとらえておられるのかということが問われます。
 今回、答弁にあるようないくつかの改善策も打ち出されました。しかし、これら改善策は2年前の東三河四市競輪組合が豊橋競輪から撤退したときに、あるいは単年度赤字が予想された時に直ちになすべきことではなかったのではないですか。

 結局、今までは「運営はしてきたが経営はしてこられなかった」。反論があればお答えください。

(4)平成16年の「ふるさとダービー」の誘致に失敗したのが撤退を考えた最大要因であったと伺いました。ならば、お尋ねしますが、平成16年に「ふるさとダービー」をやることに決まった函館、福井、佐世保の中で三連単の機械の導入を決めていない競輪場はあるのですか。
 全国47場の中でただ一箇所、豊橋だけが明確でなかったのに、「ふるさと」が決まると思っていたことこそ論外であり、結局「負けるべくして負けた」のです。一宮でも大垣でも岐阜でもそういう声を聞きました。  三連単機械の導入に乗り遅れたのが誘致できなかった最大敗因ではないですか。お答えください。

 それで、支援策もあって来年度、この投票機器を導入する。10年リースを5年リースにして約4億円に軽減し、その半分を補助してくれることになったので当初、試算の三分の一に軽減されたということですが、果たして1年やってやはり無理だから閉鎖するとなったら、この5年リース分の新投票機器の清算はどうなるのですか。
 この補助を受けるのは最低でもリース期間の5年は継続するということではないのか。
 それとも助役が継続発表の前日に上京し、上位団体を訪れているので、表に出せない他の約束事が存在するのか。伺いたい。

(5)何よりも市政始まって以来の不祥事の舞台になった競輪場メインスタンドを約30億円かけて完成させたのは6年前です。その起債も約11億円残っている。選手宿舎も立派に改築している。

 昨年から始まった基本構想基本計画の財政計画にも一定の競輪収益が組み込まれているはずです。継続が前提だったはずです。

 「競輪存続のために税金を使えない」と強調する前に、そうした状況を招かないために経営に全力を尽くしてきたのか、その総括と責任は明確にすべきです。お答えください。

(6)その上で、具体的にお聞きしたいことがあります。
 撤退を決意された時に添付された競輪事業特別会計収支状況にしても、支援策を基に収支状況を説明された資料にも、交付金に関する特例制度が反映されているのかということであります。
 この制度は事業収支の悪化により交付金の交付が著しく困難であり、約3年間で事業収支の改善措置を講じようとする施行者に3年間は猶予され最長13年間で分割払いができ、それでもだめな場合は開催停止、場外転換の道を選べ、交付金支払い免除される制度です。議会の議決と経済産業大臣の同意が必要ですが、今年の2月に新設されたこの制度は考慮されていないのではないか。それはなぜか

 あるいは、県営の奈良競輪場は人件費削減日本一を達成し、財団法人日本自転車普及協会からその褒章として7000万円分の施設リース料減免を贈られていたという報道もあります。この制度に挑戦する事だって可能ではないですか。

 どうも、取り敢えず1年続けるけれど、初めからやる気はない。展望なき継続でないのか。そういう所にお客は来ますか。
 現に継続宣言以来最初の12月1日から始まった一宮競輪の場外の売上げだって、私は夕方、豊橋競輪場にいましたが入場者だって月初めの日曜日にもかかわらず予想を大きく下回っているのが現実です。

 一旦やめるといった商売屋さんが「もうしばらく、取り敢えず1年やってみます」といってお客がくるでしょうか。現にバスも駐車場も減らすのでしょう。ここで何らかの形で大きく花火を打ち上げて、このドタバタ騒動を払拭しないとジリ貧になっていきますよ。
 中途半端に継続すると大怪我をしませんか。特例制度や人件費削減コンテストと併せてお答えください。

(7)今回の質問に当たって、豊橋競輪場では11月23日の午後から5時間かけて、折から開催中の準決勝レースに併せ、ファンの動き、予想屋さんの動き、券売所の動き、選手の動き、競技から判定までの動き、売店の実態など丁寧に観察させていただきました。
 また、この1ヶ月で競輪場や競艇場を回ってきました。
 回ってきて、一番感じるの「豊橋競輪場が一番田舎くさい賭博場だ」ということです。よその畑はよく見えるのかも知れませんが、しみったれています。

 継続するならいくつか提案。

 @予想屋さんに豊橋競輪マークつきのかっこいいジャンバーぐらい着ていただけませんか。あわせて、車検売り場の従事員さんにも事務服でなく、かっこいい、若々しい配色のジャンバーくらい着るようにしたらどうですか。

 Aデパートをみならって、開場時にはゲートの前で「いらっしゃいませ」と所長以下がお迎えしたらどうか。そして、接客する人はもちろんガードマンまで全従事員が「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「気をつけてお帰りください」と毎日、大きな声で何度も何度も接客の練習をして、競輪場の内外で元気な明るい爽やかな言葉がいきかったらどうでしょうか。

 B競輪フアンが高齢になってきたと嘆く前に、若い人たちが来れるように、場内でファーストふーどくらい売ったらどうですか。「がんもどき」に「土手焼き」「たこやき」だけでなくハンバーガーくらい売ったらどうか。

 Cそれでも連日、競輪場に来て頑張って車券を買ってくれるわけですから、ファンサービスの一環で来場者にスタンプカードを発行して、一定の点数がたまったら東栄町の「東栄の湯」や稲武町の「どんぐりの湯」豊根村の「パル豊根」、一宮町の「本宮の湯」などの「日帰り温泉招待券」くらい配れるようにしたらどうか。
 都市山村交流もできて、競輪に来る楽しみが増えて、外れてばかりでも温泉で癒されて、またお金を持って足を運んでくれて一石五鳥です。

 以上の提案、明日にでもできるものから実践していただけますか。


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