伊藤ひであきの地方からの提言


拉致問題の背後にある不合理な戦争状態 2002.10.27

●24年間を無駄だったというのか
 拉致された5人が「一時帰国」して10日余り。故郷の山や川に囲まれ、友と語り合い、5人の表情は穏かさを増してきた。

 青春まっただ中の20歳前後で北朝鮮に連れて行かれて24年。今、全員が40代だ。「人生これから」という希望に満ちた時期に拉致されてからの24年間を自分の人生に重ねて涙したのは私だけでないであろう。

 5人が拉致された78年はガルブレイス著の「不確実性の時代」がベストセラーに。ピンクレディの「UFO」がレコード大賞。「普通の女の子に戻りたい」とキャンディーズが引退。巨人軍が江川卓と抜き打ちで入団契約、「空白の一日」で球界は揺れた。あれからの24年である。

 「24年間、おれはおれなりにやってきたのだ。それを無駄だったというのか」とコメントする蓮池さんの言葉が心に刺さる。
 日本に永住すれば経済的な援助はあっても、積み上げてきたものは失う。正しいと思ってきた信念も・・。その痛みにまた涙腺が弱くなる。

●朝鮮戦争は終わっていない
 1953年。この年は朝鮮半島の人々にとって決して忘れる事ができない年である。朝鮮戦争(勃発は1950年)が終結したというより、祖国が南北に分断された屈辱の年なのである。北緯38度線に軍事境界線が引かれてからすでに50年。分断された韓国と北朝鮮は「極東アジアの火薬庫」となり板門店をはさんで常時百数十万の軍隊が緊張の中で対峙し続けている。

 スターリンの急死とアメリカ国民の厭戦気分という米ソのお家の事情で決定された「一時的な戦闘停止」という曖昧な状態のまま、ただ年月だけが過ぎ去っていった。
 戦争を終結し平和的な民族統一を切望した朝鮮の民の声は無視され、ソ連・中国共産党が後押しする北半分は金日成が北朝鮮政権を樹立。李承晩はアメリカの主導で南半分に大韓民国を建国。日本の敗戦によって、やっと逃れた「植民地支配」に倍加する祖国分断という悲劇に見舞われ、幾多の悲劇が生まれた。故郷を追われ離散した家族は一千万にも及ぶ。

 なぜかくも長き不合理な状態が継続しているのか。米ソ(ロシア)を含め、中国・日本などはなぜ手をこまねいていたのだろうか。

●なぜ拉致が起きたのか
 拉致はほとんどが70年代末から80年代初頭にかけて実行されている。これは金日成主席の後継者として金正日の名前が取りざたされ始めた時期と重なる。世界中から「金日成の世襲」と非難されたが北朝鮮内では労働党中央委員の肩書きを持ち、後継者として権力を掌握していたとみられている。そして78年には世界に通用する映画を作るために韓国の有名女優を、数年後には夫の映画監督までも拉致し、その功績で「共和国英雄」の称号まで得ている。このことは、後に国外脱出に成功したこの夫婦が公表している。

 後継者としての功を焦った金正日と日本人拉致事件は見事にダブって見える。「おぼっちゃまのイケイケドンドンではなかったのか」と考えるのは不謹慎であろうか。

 一時帰国した5人を永住させる方針をうちだした政府は29日から日朝国交正常化交渉に臨む。火中の栗を拾った小泉政権の正念場である。栗の中には核もある。


ホームページに戻る 政策メニュー