伊藤ひであきの地方からの提言


政治ショー極まれり 地方から政治を変えよう! 2002.04.16

●次から次へと幕が上がる

 おっムネオが反逆に出たぞ!マキ子が今度はシラを切っとるぞ!キヨミがみんな集めて未練たらしくバッジをはずしたぞ!突然にコウイチが「職を辞します」と声を震わせ吐露したぞ!今度は共産党がえらいメモを発表したぞ!何々、今度は参院の議長さんかよ・・・。

 「政治とカネ」をめぐり永田村のもぐらたたきは止まることを知らない。噴出する疑惑・事件によって、国民の政治への視線は日を追うごとに厳しさを増している。疑惑も遂に権力の中枢に及んできた。永田村の住民の皆さんのなんとあさましい、「抜け道探し」のいたちごっこには呆れるばかり。ピンハネ?、クチキキ?、ミカエリ?・・・。

 国会疑惑として提示された事件の一つ一つがメリハリもなくワイドショー的に国民に一方的に知らされる。そして、それが我々にどのような意味を持つのか、考えるいとまを与えないまま、次の幕があがって、また薄汚い政治ゲームが展開する。国民はテレビ桟敷で顔をそむけ、あるいはへどを吐く。

●使われているのは税金である

 世紀が変わって、時代が大きく変革して、IT社会が否応無しに、既存のシステムを壊し、営々として営まれてきた日本社会を揺さぶっているときに、旧態依然の永田村の政治が、白日の下にさらされ百花繚乱の花吹雪である。

 しかし、これがコンピュータの政治ゲームなら面白いのかもしれないが、これはまぎれもなくゲームでも演劇でも、漫画でもない。現実に行われている事実なのだ。
 あの中で論じられているお金とは税金なのである。私たちが納めている血税なのである。
 その血税を湯水のごとく使われて、その上、野次を飛ばしながら、この実態をもしも笑って見ているとするなら、この国の民人はなんとめでたいのだろうか。

 ならば、もはやこの国は救いようがない。この国は堕ちるところまで落ちる以外にない!

●おごるなかれ!永田村の住民たちよ

 ギリシャの大哲学者プラトンは「国家論」の中で「政治に参画しようとする者は、己の利害を顧慮せず、その一挙一動を国民の利益に一致せしめるようにすべきである」と叫んだ。
 そもそも国会議員というのは一心に国民のために仕事をなす立場の人であり、ゆえにこそ多くの特権が与えられており、多額の血税が使われているはずである。
 おごるなかれ!永田村の住民たちよ!

●観客席を離れ足元から政治を変えよう!

 彼らが政治の場を利用して、マネーゲームをやるのを止めようがないなら、我々はゲームの観客席から離れ、身近な地方政治の中から日本を変えていこうではないか。
 生活実態をなにもかも開けっぴろげにして、特権も、献金も縁遠い地方議員と地方議会の中に日本再生の可能性を見出そうではないか。
 不肖、伊藤秀昭が6年前からホームページを開設し、ひたすら追い求めてきたテーマ「閉塞した日本の再生のために 立ち上がれ草の根の地方議員よ!ほんまもんの政治をめざして」とはこのことであると自負する。

   「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」。
あえていう。政治とは「責任倫理」の世界でなければない。


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