伊藤ひであきの市政報告

2002年2月 福祉教育委員会のポイント
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1.「豊橋市美術博物館等整備事業基本計画」について

 国の「文化芸術振興基本法」の成立、文部科学省の「新しい文化立国を目指して」の取組みの流れ。約70億円から75億円かけて明日の豊橋のために「とよはしミュージアム」を作ろうとする。その基本的なことを確認したい。

  @検索ソフト「goo」で「美術館」と入力すると、257592 件の美術館情報を得られる。そのTOPは、「ルーブル美術館公式サイト」で、そこをクリックしていくと、あのレオナルド・ダビンチの「モナリザザ」に、我が家で出会える。あるいはCD、DVDで音付の世界の美術品が提供されている。こうしたマルチメディアの時代の、IT社会の中の美術館のあり方と役割をどう総括されたのか。

A「開館当時のいきさつは色々あったにせよ、異質の博物館と美術館機能が一緒になっている事が、何より問題となっている」。これは「友の会だより 風伯」に掲載された神野氏の寄稿文の一節。
 この論議はしばしば議会でも行ってきた経過があるが、美術館だって博物館の一つ(博物館法第2条)だから、うまく行きそうだが、そうはいかない。博物館は発掘されたものは何であれ、事実として、当時の事を知る上での材料として、美術的な事は抜きにして、コレクションの対象になる。美術館は価値のフィルターを通じてのコレクション。すなわち、コレクションのシステムが違う。

 豊橋には博物館と名のつくのが「自然史博物館」。ここに博物館機能を集約し、豊橋公園の中の施設は美術館として特徴づける事だって考えられない事はない。それでも、「美術博物館」としてこれからも複合的になされようとする意味は何か。

B最近、国立美術館・博物館の独立行政法人化の動きもあり、全国の公立美術館は大きな閉塞状態におちいり、存在価値が問われている。
 いうまでもなく、企画展頼みで個性がなくなってきており、常設展示に力を注ごうとすれば、資料購入費が厳しい財政の中で、思うに任せない。それでも、努力すると、収蔵空間がなくなってしまって、巨大化の一途をたどらなければならない宿命にある。

 まさに、今回の整備事業のきっかけになっているのは、P.1の「収蔵庫の拡充が急務の課題になっている」。貴重な資料を安全に保管し、後世に継承する事は美術館・博物館の本来的使命である」事に異論はないが、パーマネントに巨大化していくことに、何か割り切れないものを感じるのですが、認識を伺う。

C計画では美術博物館と表記するところと、ミュージアムと言い換えている箇所が多い。この言い換える区別はどのように判断されての事か。目指すものは旧館を市民ギャラリーと文化財センター、新館に美術館と歴史館と機能分担させて構成する。これが新しい時代の美術博物館ではないのか。なぜ、市民ミュージアムになるのか。ならば「市民ミュージアム整備事業基本計画」が正しいのでないか。

DP.31運営体制で、マーケティングの手法を取り入れた事業運営や広報・渉外活動の充実が求められており、経営感覚を持った人材を登用するとあるが、現在のラインの職員体制でそれが、可能か。

 その意味で、施設の増築が先で、ヒューマンウェア(人材)ソフトウェア(企画・仕組み・コンセプト)を煮詰めてから、ハードウェア(設備)を考えるべきで、その煮詰めなしに3案を示すのは、本末転倒の旧来型の取組みでないか、行政評価の流れから見ても拙速でないか伺う。

Eその意味で、美術館を支えるのは学芸員であり、美術館問題のほとんどは学芸員問題であるといわれる。ところが、日本の学芸員は「雑芸員」と称されるほど、専門性を軽視されて、雑事に追われているのが実状。
 ヨーロッパではキュレイターと言われ、総合プロヂューサ的役割を持ち、アメリカのキュレイター観は「美術史のエキスパートである優れた研究者で、一人で展覧会が組織でき、そのカタログの序文が書けなければならない」そうである。
 学芸員の育成・強化についての考え、あるいは研修派遣や招聘について伺う。


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