伊藤ひであきの地方からの提言


新成人の皆さんへ  2002.01.14

「ほんまもんの時代」を凛々しく

 1月14日に地元の校区市民館で開催される「成人式」でのあいさつを僭越ながら掲載させていただきます。

●右肩上がりの時代の中で

 晴れがましい成人、本当におめでとうございます。

 1967年・昭和42年、私も、皆さんと同じように20歳の春を岐阜市の金華山の麓で下宿をし、家庭教師をしながら悶々とした2年目の浪人生活の中で迎えました。

 だから故郷の養老での成人式にも出ず、その日は大学入試の模擬試験を受けに試験会場へ向かっていました。長良橋を渡っていた時、振袖姿の新成人の女性のグループと出会いました。「今日は、同級の友はみんな成人式なんだ」と思い知らされた、にがにがしい思い出が今でも忘れられません。

 時代はその頃から高度経済成長に向かい、人々はやれ車を、やれカラーテレビと競うように購入し、ドルショック、大阪万博、オイルショックなどを経ながら、所得倍増、列島改造、土地高騰、重厚長大産業を中心に、右肩上がりの上昇気流でやみくもに登っていきました。私はその中で青春を、人生を送って来ました。

 金が金を生み、土地が土地を生み、投資すれば必ず儲かる。この繰り返しでバブル風船が膨らんでいったわけです。

●深刻な時代の危機

 そして、それがはじけるわけです。10年前です。当然、株価は暴落、土地の下落、資産価値の暴落、その流れが今でも続いていて、日本の'90年代は「失われた10年」として語られていますが、問題なのは、現在が「失われた10年」を脱したわけでなく、依然として出口なしの状態である以上、10年どころか、20年も30年も失われ続けるのかもしれないということです。

 そして、こうした経済変動に振り回されて、私たち日本人は大きな忘れ物をしてきました。そのつけが、問題解決が先送りされてきたそのしっぺ返しが、日本のあらゆる社会システムの金属疲労として現れ、特に教育、福祉、環境問題に現れてきています。応急処置では対応できない問題の深さをかかえたまま、今日に至っているわけです。

●ほんまもんの時代

 縷々、申し上げたのは、私たちの青春時代には考えられなかった、右肩下がりの中で、皆さんは今日、成人を迎えられたという事実です。これから歩まれる20代の最も光り輝く時代のバックグランドは途方もない厳しさと、小手先では通用しない激動の時代だという事です。それだけに、どうか自らを高めるために投資し、自らの個性と能力を磨きに磨いていただきたいという事を、老婆心ながら申し上げたいのです。

 私にも、昨年、成人式を迎えた息子がいます。専門学校を卒業し、念願の海外旅行の企画会社に就職し、名古屋でアパート暮らしを始め、社会人一年生が始まりました。しかし、あのアメリカの同時多発テロで、一気に海外旅行客が激減し、給料はカットされ、期待していた暮れのボーナスは1/3になってしまった。それでも「貰えない会社もあるのだから」と励ましているのですが、本人は以外にケロッとしているのには、驚かされます。

●目標を立て挑んだ分だけ成長

 どうか、皆さん、成人の自覚を新たに、何か一つ「これだけは絶対、他人に負けない」という何かを「ほんまもん」にするために、鋼のような強靭な精神と身体とともに鍛えに鍛えてください。
 変化は保守的な人には不安をもたらしますが、勇気ある人にはチャンスを提供します。人生は強気でなければ勝てない。人生は目標を持ち続けた人が勝つ、目標を立て挑んだ分だけ自身が建設されていくはずです。

 私たち、政治に携わる政治家のはしっくれは、せめても、この豊橋の地で、市民の笑顔輝く地域づくりに懸命になってがんばってまいります。

 最後に、皆様のお祝いのメッセージとして、ドイツの偉大なる詩人、ヘルマンヘッセが、困難な時代に雄々しく立ち向かう友人たちのために謳った詩を読ませていただきます。

「この暗い時期にも、いとしい友よ、私の言葉をいれよ。
 人生を明るいと思うときも、暗いと思う時も、
 私はけっして人生をののしるまい。
 日の輝きと暴風雨とは、同じ空の違った表情に過ぎない。
 運命は甘いものにせよ、にがいものにせよ、好ましい糧(かて)として役立てよう」

 本日は本当におめでとうございました。 


ホームページに戻る 政策メニュー