伊藤ひであきの地方からの提言


デフレ時代のIT!ニューエコノミーの失速  2001.12.02

 今、世の中はかなり鬱(うつ)である。テロ事件からアフガン攻撃、炭素菌、狂牛病・・。景気の先行き不透明感は一段と強まり、失業率は悪化の一途をたどっており日本が直面している危機は極めて深刻なものがあることを誰もが認めだした。もてはやされたITにも大きなかげりがでてきた。その意味することは何か。私なりにまとめました。

 ●デフレスパイラルの鬱(うつ)

鬱と言うのは、医学書によれば過去に対する負債の感情と関係しているという。すると、欝は集団の病としてもありえるのだろう。日本の'90年代は「失われた10年」として語られているが、「失われた〜」とう形容そのものが、欝の表明に他ならない。
しかも、現在が「失われた10年」を脱したわけでなく、依然として出口なしの状態である以上、10年どころか、20年も30年も失われ続けるのかもしれない。

 物が乏しい時代においては供給が主役で、需要がくっついてくる。物が豊かな状況においては、需要が主役で、それに伴い供給がなされていく。今や、生活に必要なものは十分に供給されていて、供給が需要をはるかに上回っている。
 現在は、デフレの時代であり、貨幣の流通が滞り、商品の価格は低下していく。供給が需要に従っている関係は変わらないので、需要が縮小した以上、供給は価格を下げることでしか対応できなくなる。
 これは悪循環である。価格が低下しても、需要は拡大しない。結局、供給を維持するためには価格をさらに下げることしかできない。そのために低コストを求め、東南アジアの安い労働力を求め、国内の空洞化が進み、価格を下げるベクトルは賃金を下げ、雇用を減らすことに帰結していく。

最近、気になるのは、この閉塞感、停滞感にITがかなり関係しているのではないかということだ。

 ●ニューエコノミーの失速

'95年暮れのWindows95のあの狂想が象徴だったように、パソコンが一般家庭に普及し、インターネットが拡大していった。それらは、新しい需要を創出する大きな要因として機能するのだと考えられた。 その願望の一つがニューエコノミー論であり、ポスト産業化社会の到来が宣言された時代でもあった。IT革命はまちがいなく日本社会や市場経済を激変させると期待が集まった。
 しかし、デフレスパイラスの現実は、そのような願望すら打ち砕いてしまうように思う。

 コンピュータの性能向上と価格低下、同様にインターネットの高速化と価格低下はこれからも続いていくだろう。それは誰でも望むことだし、良いことだと考えるし、否定するつもりはない。
 ただし、それはコンピュータやインターネットが、供給が主役で、需要が供給に従ってついてくる前提での話だったのではなかろうか。
 コンピュータやインターネットを戦略的に活用できた企業が、市場での競争に勝ち残れるというのは確かだとしても、それは企業活動においてコスト削減ができたり、効率的に再編成された場合のみ成り立つのであって、ITによって労働の質と量が変化すれば、生産や流通に必要な労働力を減らし、その分、商品の価格低下を誘導し、欝に拍車をかける。

 ITが何か新しい産業や経済の形態を誕生させるものであるのかどうか、今一度、市場経済の原理に戻って検証する必要があるのでなかろうか。


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