伊藤ひであきの地方からの提言


ハンセン病控訴断念を勝ち取った人間主義政治
−豊橋駅前街頭演説から
 2001.5.28

●<人間として認められた>

 「全国の療養所で『自分が一人の人間として認められた』という思いで涙を流して喜んでおります」
 5月23日夕方、日本の政治の転換期を象徴する大きなニュースが流れました。ハンセン病国家賠償訴訟で国が全面敗訴した熊本地裁判決を受け、小泉首相は5月23日夕刻、「判決を重く受け止め、極めて異例だが、政府声明を出して控訴を行わないことを決定した」と控訴断念を決めました。

 政府が「控訴断念」を決断・発表した翌日の24日午後、国会内の公明党代議士会に"飛び入り"したハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告団協議会のかしやまいさお堅山勲副会長は「人権の党−公明党の皆さんありがとうございました」と万感の思いを込めて話されました。

●<想像絶する長い戦い>

 らい菌による慢性細菌感染症のハンセン病患者が長年にわたり受け続けた苦痛は、想像を絶するものがありました。末しょう神経と皮膚が侵される身体的苦痛もさることながら、1931年(昭和6年)の「らい予防法」制定以来、全患者を対象にした国の「隔離政策」は、患者とその家族に対する差別、偏見を招き、映画「砂の器」で生々しく表現されたように、人間として生きることすら否定する多くの悲劇を生んできました。

 しかし、実際は、感染力は極めて弱く、遺伝もしない。40年代に特効薬が開発されて治療法研究が進み、60年以降に「隔離政策」の必要がなくなった後も、96年の「らい予防法(新法)」廃止まで、それが改められることはなかった訳です。こうした"政治・行政の怠慢"を厳しく糾弾したのが、ハンセン病国家賠償請求訴訟に対する5月11日の熊本地裁判決でした。「隔離政策」の転換を怠った国と、96年まで同法を廃止しなかった国会議員の責任を認めた、この画期的な判決を機に、「控訴断念」を求める元患者らの叫びが日本国中に広がっていきました。

●<人間を優先させよ>

 公明党は直ちに動きました。政府部内で「控訴すべし」との声が高まる中で、公明党は控訴を断念すべきだと積極的に動きました。マスコミ各紙が報道している通りであります。神崎代表、浜四津敏子代表代行らが何度も「控訴を断念すべき」事を小泉首相に迫りました。
 一方、公明党出身の閣僚である坂口力厚生労働大臣も厚生行政の最高責任者として、真っ正面から取り組み、「職を辞しても」の覚悟で「控訴すべきでない」と迫りました。
 こうして5月23日夕刻、首相は控訴断念を発表しました。日本の政治に初めて「法的問題よりも、人権・人道を優先させた」瞬間でした。

 公明党の政治−それはヒューマニズムの政治であります。そして、それは抽象的な空論でなく、国民の皆様と共に汗をかき、共に悩み、共に喜びながら、大地にどっかと根をおろした人間主義の政治であります。 政治は国民の皆さまに真正面から向き合い、現場の皆さまの声を一生懸命、全身で受け止め、全力で挑戦していくのが、与党の中で戦っている公明党です。

●<こんな大臣がいただろうか>

 ハンセン病控訴断念の中心的役割を果たした坂口厚生労働大臣はケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)から旧労働省幹部が接待を受けていた問題でも、坂口力厚生労働大臣は旧労働省幹部に異例の厳しい処分を発表すると共に、自らも監督責任を取って、昨年十二月の就任時にさかのぼり大臣給与全額を返還し、今後も給与を受け取らないことを明らかにしたことでも知られています。

 接待問題に直接かかわっていない坂口厚生労働大臣の「給与全額返還」は、監督責任の取り方としては極めて異例のものでした。今までこうした責任の取り方をした大臣がいたでしょうか。

 私たち公明党はハンセン病元患者の皆様の、不当な人権侵害と差別により受けられた苦痛と苦難に対し、深くお詫び申し上げ、亡くなられた方々に心より哀悼の意を表明するものであります。と同時に特に坂口労働大臣の人間政治家としての戦い、法律よりも、国のメンツよりも人道を優先させた人権の党−公明党の戦いを知っていただきたいのであります。

 この21世紀、「あの時、新しい政治が始まった」「本当に国民の皆さまのための政治が始まった」と言われる挑戦を、これからも全力でしてまいります。そして、21世紀の日本を「明日も安心、将来も希望が持てる」という「笑顔あふれる社会」にしていくために、皆様方の暖かいご理解と力強いご支援を公明党に賜りますよう切にお願いもうしあげます。


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