伊藤ひであきの市政報告

2000年12月議会 本会議代表質問のポイント

第二問 1.総括とめざすもの、その体制

 答弁の中で37万市民とありました、長く36万市民という言葉を使ってきましたが11月1日現在で、豊橋市の人口は369、636人、すなわちもはや37万市民の時代になっているわけです。愛知県2番目の都市、中核市豊橋はいよいよ新世紀を迎えようとしています。そのリーダーに市民は早川市長に託したわけです。

 ホイッスルは鳴った。ラグビーで言えば「ノーサイド」、敵も味方も互いに健闘を認め合った上で、握手をし、どうか自信を持って堂々と37万市民の先頭に立って市政運営をお願いしたい。

 今の答弁では「4年間で積み上げてきた改革や事業を、さらにこの4年間で定着・発展させ、この豊橋を日本一住みよいまちへ作り上げてまいりたい」。

 選挙中、しばしば報じられた言葉に「一期目では、福祉・環境・教育など、各分野で種をまいてきた。二期目で花を開かせ、実をならせたい」という市長の言葉です。
 「源遠ければ、流れ流し。根深ければ枝繁し」といいます。蒔いてきた種を枯らさずに花開かせるために市長の強い、しなやかなリーダシップを求めるわけです。

 「非早川票」という言葉を使われましたが、太田氏が「現状変革」を訴え、「このままでは10年後には差がついてしまう」という豊橋を思う熱い熱情から、45歳の人生勝負にでたとするなら、彼が言おうとした事、やろうとした事は一体なんだったのか。

 山崎氏が豊橋空襲で空が真っ赤に染まった事を鮮明に覚えている戦中派であり、「暮らし優先の市政に」と真面目に真剣に二度に渡って挑戦しようとした事は一体なんだったのか。

 その事を、知るすべはありませんが、二人もまた、この豊橋を思う熱い情熱で行動したとするならこの二人に寄せられた併せて45%の票は非常に重いものがあると思います。

 私自身は、次世代型焼却炉の決断、そして私ども公明党市議団が提案した「豊橋環境村構想」はエコビレッジ構想として基本計画の中でリーディングプロジェクトに位置づけ、県補助金カットには市単独補助で福祉を後退させなかった。

 その意味でリーダシップがないとか、決断力がないとかという表現が当たっているのかなーと思っています。ただ、市民の側からみた時にどうなのかです。市役所の中にいるから、たえず議会で論議しているから解る事は、市民の皆さんからはわかりません。よって目に見えるリーダーシップに取り組んだらどうか。と申し上げたいのです。

 先日、相模原市役所にいきました。市役所前広場に立ちましたらまず、飛び込んできたのは「ただいまISO14001に挑戦中」という横断幕です。そして、市民が役所に向かう両側には「福祉のことは」「税金のことは」「教育のことは」という大きなパネルが並べてあって、何処へいけば目的が果たせるのか一目瞭然なのです。職員の方に聞いたら「人間都市−相模原をめざす小川市政の表現だ」という事です。

 隣の豊川市は全ての施設に、それこそ封筒まであのTOYOKAWAのロゴマークを使っている。私はこうした手段で早川市政の取り組みを納税者である市民に示す必要があると考えます。今まで私は、「お知らせ広報」でなく「考える広報」「市民と共に行動する広報活動」を主張してきましたが、もっと大事なのは「市民に見える広報活動」「市民がダイレクトに実感できる広報活動」が欠けているのではないかと思います。逆にこのことを提案したいのです。

 目に見えるリーダーシップ、具体的には「シティ・アイデンティティ」への取り組み、市長の考えを聞きたい。

 また答弁では柔軟な推進体制といわれましたが、それは一体なんなの、と言う事です。3年前「21世紀の豊橋研究班」が分厚い報告書を3冊にまとめられました。今読み返しても、画期的な提案の数々があります。また基本構想・基本計画を策定するに当たっての前段階で「とよはし21世紀ビジョン」もユニークな提案が散りばめてあります。これらは市職員の特に若手で構成されたワーキンググループが不眠不休で纏め上げられたと聞きます。この若い職員の叡智、これはこれからもっともっと表舞台に出していく必要があります。

 逆に、9.11東海豪雨で一躍脚光を浴びた「豊橋のハザードマップ」は長く公務に取り組んできたベテラン職員の皆様の経験から作られたという事です。

 これら、若手の柔軟性、そしてベテランの経験これをどう生かすか。市長の考え方をお聞かせ下さい。

2.不況感と停滞感、批判票

 12議会で一般会計の決算審査が行われる事になっていますが、例えば法人市民税は過去10年の間に7年間前年比減です。約9600社のうち利益が出た分から納める法人税割を納めている法人は1/3しかありません。深刻な不況感が豊橋の中小企業を覆っています。

 早川市長に至るまでは市民病院、競輪場、豊橋駅、市役所、動植物園と併せれば2000億円を超える公共事業が目白押しであったわけで、一定21世紀への基盤整備は成されたわけです。
そのことによって不幸な結末もありましたが・・。
 それで早川市長の時代になって、生活密着型の公共工事が中心となってきて、国のほうも公共工事をみ直し、中味を替えていく作業が始まっている。豊橋の産業分類の統計書から明らかなように、企業集積度の低い豊橋では総合建設業関連の従事者が半数を占め、かつその受注高は7割を公共工事に依存しているという現実がある。

 この分野は異業種交流、新業創出、静脈産業などと言葉は理解できても、そう簡単には転換できない。よって、この時代になると、この分野が灰色から真っ暗になっていく。かといって高橋市長の時代には戻せないし、この事は早川市長の責任でもない。答弁では「ご指摘の不況感・停滞感を今後どれだけ打破できるかが私に課せられた課題だ」と認識しておられる。ならば、その突破口は何か。意図するところがあればお聞かせ下さい。

3.経済界への対応

 次に、私はすでに9月議会で基本構想・基本計画の素案について論議させていただきましたので、今回は市長の市政方針、政治姿勢に絞って質問させていただいています。その9月議会で主張した事は3点あります。

 一つは豊橋におけるIT革命、電子自治体を目指して、合理化できるところはすべてコンピュータ化し、余った人員を福祉・教育など人手のかかるところに集約すべきだ
 二つには地域の自主性、主体性が決めてとなって勝ち組みと負け組みを作る大競争時代に入った。ゆえに首長=市長の責務は重大である。
 三つ目はグローバルに進む産業構造変化の中で、地域経済の活性化のために民間資源の活用を重層的に展開すべき
 まとめて言えば、「地域間競争に勝ちぬくために、市長はリーダーシップを発揮して、経済界も、行政も、市民も一体になって、智恵を発揮して、汗をかいて総力戦で新世紀に向かえ」という事になるかと思います。

 その観点から、今回、一部経済界が「市長を変えよう」と動いた。答弁では「街づくりを進める大事なパートナー」とおっしゃる。言い換えれば「大事なパートナーが横向いていては、街づくりは進まない」という事です。しかし、当選後の記者会見では「経済界との関係修復については市長から積極的に動くような事はない」と話されたと聞く。選挙が終わって、10日後の22日、豊橋商工会議所が開いた受賞祝賀会に市長は当選後初めて出向いた。そして佐藤会頭は「元気のある街づくりを進めて欲しい」とエールを送ったと地元紙は報じている。

 4年前の12月議会の議事録にもありますが、「衆院選への立候補を止めて、市長選に立候補する旨を明確にされてから、掲げる政策を持って真っ先に出かけられたのは商工会議所であった」とは大きく状況が変わっている。

 この4年間に、当選してからでも10日も立たなければ挨拶にいけない関係になったのは何処に問題があるのか、あったのか、意図するところがあればお示し下さい。

4.5.「静かなる改革」と「やさしさ」、周辺の期待

 21世紀のKという言葉がある。環境、教育、介護、健康、高齢化、国際化、高度化、活性化すべてKがつく。先日、朝まで国民を突き合わせた茶番劇の主人公もKがつく。政治の鍵を握る我が公明党もK、代表も神崎でK、それはともかく、これらKがつく21世紀のキーワードは急激な変化を求めてはいけない。今回の市長選で市民が示したように市民は大衆は平和裏に斬新的な健全なる改革を願っている。その意味で「静かなる改革」「やさしさ」は必要でしょう。

 しかし、一方で、周辺市町村長から寄せられた、早川市長へのコメントを読めば、奥三河の過疎対策、豊川下流の水不足、中流域の産業振興など広域的課題が交錯する豊橋市に寄せる期待は強いものがある。

・中野豊川市長は「中央に陳情の際は早川市長の実績が役立ってくれると信じている」
・金原蒲郡市長は「この地方全体の活性化に取り組んでいただきたい」とリーダーシップを要請している
・山本新城市長は「県内市長の牽引役として強いリーダーシップ」を求めている
・加藤津具村村長は「この4年間は積極性に欠ける市政運営だったように感じた。豊橋は東三河の要。地域を引っ張って欲しい」などなど、強い豊橋、ダイナミックな行政展開を望む声も強い。
 また基本構想、基本計画に盛り込まれた例えば国立病院、総合保健センター、総合福祉センターなどの保健・福祉・医療のネットワーク作りでも、総合文化学習センター、子ども関連施設などまちなか文化の創造でも、エコビレッジ構想でも、国際的みなと作りについても、産業活力の活性化でも、市長の強い政治力、リーダーシップが発揮されなければ一歩も進まない。

 この「静かなる改革」と「ダイナミックな牽引者」、「やさしさ」と「強さ」この両面を時代は、また自ら提案された基本構想は早川市長に求めている。意図するところがあればお示し願いたい。

6.開かれた地域への改革

 その上で「政は正なり」という政治姿勢には全く同感であり、過日「あっせん利得処罰法」が成立した。日本の政治の質を変える画期的な成果だと確信しています。

 しかし、一方で渥美町のような事件もまた現実です。いや、よその地域のことでなく、4年前の豊橋がそうでした。かって、私たちの先人は豊川は濁っても街は汚れてはいけないから「豊橋(とよばし)」とせずに「とよはし」としたという経過があるのに、「どよばじ」になってしまった歴史がある。

 渥美が生んだ作家−杉浦民平は1953年「ノリソダ騒動記」を描いた。今から47年前の渥美地域の現実の渦中に身を乗り出してのマンジドモエの活劇の傑作といわれるルポルタージュです。
 ノリソダとは海苔の着生する粗朶(そだ=竹で編んだ)のことであり、このノリソダで一儲けするために毎年800人以上の漁民が海部郡のほうから福江の町にやってくる。その地代金をめぐって漁業会長と町長が暗躍するわけです。それを共産党の地区細胞が暴露し、零細な漁民達が果敢に戦った記録です。

 改めて読んでみると、今回の渥美の「アサリ騒動」と読み間違うくらい酷似しているのに気がつきます。いや、4年前の豊橋の不祥事ともあまりにも本質が同じである事も読み取れます。

 この町で起こった事は、またこの市で起こった事は日本の市町村でも起こり得る出来事であり、同じような政治構造、同じような精神文化が日本全国に広がっているとも言えます。

 インターネット上に「知れば誰もが呆れてしまう! そんな「知呆」な「地方」の政治の出来事を地方紙や地方版から探しだし、報告するミニ・ニュース」というのがあって毎週配信されてくる。
 それを読めば一目瞭然。

・県財政をチェックする外部監査に県が批判的な意見書提示 ――青森県
・アムロに酔って抱きついた「セクハラ」議長が辞職 ――沖縄県佐敷町
・集会所として払い下げた旧公舎が元所有者の議長邸に ―島根県川本町
・教育長が中学校長時代に納入業者からリベートもらう――福岡県飯塚市
・破産した三セクに社長を派遣していた県が連帯保証金を負担――沖縄県
などなど。

 すなわち、本質的には馴れ合いという風土を持っていて、そうした何事も「なあなあ」で済ましてしまうという日本的風土、50年近く前の「ノリソダ騒動記」がいまだに新鮮に読めるという事は、日本のそうした村議会、町議会、市議会などの政治が全くといっていいほど変わっていないからだという事です。

 「人間を幸福にしない日本というシステム」はオランダのジャーナリスト「ウオルフレン」によって書かれたベストセラーですが、曰く「日本が市民の国になるためには障害になるに決まっている生き方が未だ正しいとされている。それは"シカタガナイ"という生き方である」とシカタガナイ政治学が日本を不幸にしていると説く。

 「なあなあ」と「シカタガナイ」と合わさったあとに「ノンホイ」が続けばぴったり、あてはまる。

 繰り返される日本各地のの「まさか」と「またか」。こうした事件を今世紀で終わりにするために、地域を改革しなければなりません。そのために私たち政治に携わるものは何をすべき事は明白である。「なあなあ」と「シカタガナイ」という政治からの脱却です。

 その意味で、今回の市長選で市議会の最大会派が候補者擁立に走り、一戦を交えたという経過を踏まえ市長の意図する市長と議会の関係をどのように考えておられるのかお聞かせ下さい。



ホームページに戻る 議会メニュー