伊藤ひであきの視察報告

● 那覇の平和行政と市民NPO ● 2000.04.18

 悲劇の島、沖縄の県都−那覇市。いうまでもなく沖縄の経済政治文化の中心地である。しかし、市内のあちこちに一家が全滅し、その霊を弔うために墓がたっているのみの荒れた空き地や銃弾の跡が残り、戦後55年を経ても、国内唯一の地上戦による沖縄の4/1の23万人が犠牲になった戦争犠牲者の痛み、さらに、戦後は米軍政下のもと長く苦しい経験を余儀なくされた歴史の地である。

(人口30万人、面積38.62ku 市議会議員定数 44人 党派別構成 自由民主党 14、日本共産党 7人、公明党 6人、沖縄社会大衆党 4人、社会民主党 1人、民主党 1人、無所属 11人)

<<平和行政について>>

 19997年から始まった第三次総合計画において、「人間と自然に優しい平和な国際都市を創造」を真先に掲げ、「市民の平和を愛する心を世界に発信する都市」として位置づけている。

 その具体的事業として
@修学旅行平和ガイド事業
 本土の修学旅行生に対し、戦跡地を那覇市の職員が案内することによって、沖縄戦の実相を本土の若者に伝え、次代へ平和の尊さを継承していくことを目的としています。
 96年度から99年度までの4年間の実績は延べ学校数 483校  99年度は約160校に実施
 延べ学生数 約9万7千人 99年度約4万人これに対し平和ガイドの養成人数101人である。

A長崎那覇市平和と友情の翼
 那覇市と長崎の児童生徒が交互訪問をすることによって、沖縄戦や長崎・広島の披爆を学習することによって、平和の専さと相互理解を深めていくことを目的としています。
 99年度事業は長崎市から那覇市へ訪問する児童や引率者約100人が訪れ南部戦跡の学習や交流会を実施し、また、那覇からは長崎に児童と引率者10人が訪れピースフォーラムに参加した。

B沖縄広島平和のキャンパス
 広島と那覇市の学生や30歳以下の青年と両県に在学するアジアの留学生30人が3泊4日の討論を通して、過去の歴史に学び日本とアジアの平和について理解を深めるのが目的。
   ′  99年度は那覇市で開催し、市民公開講座はコーディネーターに筑紫哲也氏を招き、広島市長、那覇市長、両市語り部、高良鉄実数授によって、「戦争の世紀から平和の世紀」を実施し会場から聴衆が溢れたという。
Cその他
 嘉手納ラブコンの返還が市民県民の大きな関心となっているため、市長として主権者さらに那覇空港の安全確保の立場からその早急な返還を求めて日米両政府に要求をしているところ。また、市民の平和に脅威を与えることについても市として必要な抗議ないし要請を関係機関に行っている。

<<NPO支援事業>>

 また那覇市では「協働型まちづくり」を推進していくためのシステムづくりの具体化として、NPO法の中で分類されている、保健・医療又は福祉の増進を図る活動や社会教育の推進を図る活動、環境の保全を図る活動などのグループで、@活動への参加が全ての人々に開かれている市民活動団体A市内に事務局を置く、もしくは那覇市の市民活動に深い関わりを持つ市民活動団体と言う条件をつけ活動支援を行っている。

 具体的にはNPO活動支援センターを設置し、6000万円の基金を用意し公益信託し、公開審査で10万円、20万円、50万円の補助金を出している。そのための基金助成規定や活動支援センター条例、なども完備している。第一回になる昨年度の助成事業は寝たきり0作戦・ニコニコ健康サロン(ゆんたく広場ヒューマンセフティネット)、ピーチクリーンアップゆいまーる(那覇インターナショナルビーチクラブ)など5団体が始めの一歩助成に、安謝川の浄化(安謝川をきれいにする首里住民の会)、環境教育プロジェクト(沖縄リサイクル運動市民の会)など7団体に社会貢献活動支援が決定されている。

 市民と行政が対等の立場で協働型街づくりの仕組みを作り上げているのは見事と言う以外にない。

 那覇の街のあちこちに7月21日から開かれる沖縄サミットの歓迎の旗がひらめく。イギリス、アメリカ、EU、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本そしてオブザーバー参加のロシア連邦の9本の旗。戦争の爪痕を引きずる沖縄サミットの意義は大きい。この時に世界に向って平和の発信をしようとする沖縄の心意気が伝わってくる。そして、また那覇市民の自主的な街づくりへの仕組み。沖縄の地方政治の斬新性を垣間見る思いであった。

 視察に際し那覇市議会の糸数課長や山城氏、経済文化部松元課長などに大変お世話かけました。


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