伊藤ひであきの視察報告

● 鹿児島のウォーターフロント計画 ● 2000.04.17

 大陸や南洋諸島に近いという立地条件から、繁栄と進展の歴史を作り上げてきた鹿児島。近代日本の黎明、明治維新においては幾多の英傑を排出した人のまちである。
 現在、人口55万人、県都として、また南九州の中核都市として「健康と潤いのまち 前進する鹿児島」である。街を歩くとそこかしこに明治の群像の銅像が立ち並び、花と緑のちょっとしゃれた街である。

 この鹿児島が昨日までは街をあげて燃えていた。鹿児島市議選が1週間に渡って繰り広げられていたのである。定数50に候補者74人が立候補した大乱戦。結果は南日本新聞の号外で知ることができた。自民22(21)、公明7(5)、社民6(5)、民主3(2)、共産2(3)、民主3(2)、無所属10(10)、女性議員は7(4)という結果。自民党は過半数に届かず、今後の市政運営は第二党である公明党市議団の動向にかかっている。

<<ウォーターフロント開発計画>>

 今回の市議選で争点になった一つが鹿児島湾で建設工事が始まった人口島問題をめぐる住民投票の実施や建設の是非である。
 鹿児島港の歴史は古く、南北朝の昔にまでさかのぼる。最初の港は島津氏が築いた河口港であったともいわれ、フランシスコ・ザビエルもこの港に上陸し、キリスト教を伝えたといわれている。江戸時代には薩英戦争の舞台ともなった。

 この鹿児島港、年間700万人の国際観光船の入港を始め、外国との人や物の交流の拠点となっている港湾であり、7つの港区に分かれて、それぞれの機能を果たしている。その内の一つ、中央港区は平成5年の港湾計画改定で、従来の南港区、木材港区及び新たに計画された人口島を合わせて中央港区と名づけられた。中央港区人口島は、国際見本市などが開催できる国際交流拠点として位置づけられ、大型観光船専用のバースなどの整備が計画されている。この背景にはクイーンエリザベス号が入港した時の受入れ施設が不十分であった事などがある。

 平成10年度の政府予算において鹿児島港フロンティアランド事業として事業採択され、平成11年9月に公有水面埋立免許を取得し、昨年12月に護岸工事に着工したところである。事業費は約400億円。

 この開発計画に市民団体が「不要不急の大型公共工事は見直すべきだ」として、「県民に建設の是非を問うべきだ」として県民投票条例の制定を直接請求したが、12月県議会で否決された。また別の市民団体が市民投票の実施を求め鹿児島市議会に直接請求していただけに、この工事着工が反発を買い、溝が深まった。 鹿児島市議会の審議の結果は26:21で否決された経過ではあったが・・。法的には公有水面埋立については地元市町村の意見を聴取する事になっており、その意見には議会の議決を要する事になっており、それらの手続きは終わっており、法的には問題はない。

 開発か、環境保全かが問われる中で、革命の地−鹿児島のフロンティアランドの挑戦は進む・・・。

 視察に際し鹿児島市議会の福元女史、宇治野課長、ウォーターフロント開発課の斉之平主査、私立病院の大徳経理課長など多くの人に大変お世話になりました。

 


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