自民議員団総会を前に自民市議団三役に再び「現収入役擁立話しには乗れない」旨伝える。「市民の反発はあまりにも強く、収入役は執行機関でないという理屈は役所の中では通用しても、街へ出ると通用しない」
併せて自民団長に佐々木氏擁立で検討要請。いよいよ陽の目を見た佐々木カード。
刻一刻と時間は過ぎていく。ギリギリのそして大きな戦いが始まる。
自民議員団総会。県議も加わり新たな選考委員会を作ったという。午後からは選考委員会。
この頃、衆院選の共戦で培った連帯感で連日、我が家の事務所に新進グループ議員団(市議9人、県議1人)が集まって善後策協議。
併せて今後のスケジュール、公約のたたき台、選挙体制など草案。多角度から協議
深夜、12時を回った頃、公明県議から連絡。「自民選考委員会が一定佐々木氏でまとまったので、明日、議員団総会を行い、午後からでも自民・新進グループの4派で一緒に要請にいけることになるかもしれないと自民県議より電話」
10月25日
12時より自民議員団総会。2時になっても、3時になっても終わらない。終ったのは3時半、自民議員正副団長は新進3派に報告、
「この段階ではまとめることができなかった、佐々木先生を知っている人が少ない、大至急、庁内で集めれる資料を集めさせている」
「資料ならここに一杯ありますよ」
「いや、こちらで若手が動いている」
「だったら選考委員会メンバーで会いに行かれたらどうですか」
「いや、それは総会の了解が取れていないから、逆に新進グループだけで先行して動いてもらってもいい」
「いや、ここまで来たら4派揃って行くのがスジ。焦らずに待ちますからとにかく、急いで下さい」
「何と言うことですか。資料も用意せず何が選考委員会ですか」
所が何度も何度もマスコミが「佐々木先生に要請にはいつ行くのですか」としつっこく聞きにくる。もしやと直接電話するが来客中で通じず。折り返し電話を待つ。
4時半、地下駐車場の公衆電話からもう一度かける、やっと通じたが開口一番
「伊藤さん、大変お世話になったが、自民がまとまらない以上この話しは無理です。先ほどまで自民県議が来ておられました。終わりにしましょう。泥舟には乗れません」
「ちょ、ちょちょおっと待って下さい。自民の皆さんもものすごく苦労しておられます」
「いや今日までにまとまらなくて明日まとまっても信用できません、新進グループの皆さんには本当に申し訳ありませんがこれはなかったことにしましょう」
「と、と、とにかく電話は切らせていただきますが、私達はあきらめません。とにかく電話を切らせていただきます。失礼します」
6時、我が事務所に新進グループ市議が緊急集合。善後策協議。途中、自民正副団長も加わり、「とにかく佐々木擁立で作業を急げ」
自民は26日に再び選考委員会を、新進グループは直ちに佐々木先生宅に訪問する。
10時、新進グループ4人で訪れたマンションの1室。
「とにかく先生、日増しに佐々木市長を望む声は届いていますし、市民が待っています」
「いや、皆さんの熱意には感謝しますが、心の火は消えました。」
「先生の火は消えても佐々木市長待望の市民の皆さんの火は消えていません」
「いや、もう灰です。これほどまでに泥舟だと思わなかった」
「でも明日もあさっても努力されます」
「いやもういいんです」
押し問答は時には熱っぽく、時には静かに、時には激しく・・・・・
「28日3時には会って下さい」
「それは約束しましょう」
深夜0時、佐々木邸を後にする。可能性は1割もないのか、自民が加わって2割か
10月26日
5時「選考委員会は佐々木擁立を決めた。また団内のポイントのなる人にも個別に会った。明日の日曜日を返上し午後3時から自民総会を緊急に開き、必ずまとめる、その足で4派で要請に行けないだろうか」
「連絡を取ってみましょう」
「先生、明日日曜日は夕方お時間をとっていただけませんか」
「どなたといらっしゃるのですか」
「自民市議団も陣列にやっと加わっていただけます」
「もういいです、会いたくありません。28日、3時からは約束しましたから会いましょう」
10月28日
運命の日、午前中は臨時議会。「入札制度調査特別委員会」設置を決定。直ちに第一回特別委員会。正副委員長互選。
「市政刷新の象徴として副委員長として頑張ります」
3時、サイエンスコア応接室。
「先生、今日になってしまったことはお詫びしますが、4派が揃ってお願いします。」
「失望させることになりますが、言葉は変わりません。お断りします」
「私達はこのまま早川市長誕生を指をくわえて見ているわけにいきません、何としても、新しい豊橋のために力を貸して下さい。戦わせて下さい。市民が待っています。」
「気持ちは解ります、しかしもう終わったことです」
毅然とした言葉だった。絶対揺れない。だから、そういう人だから擁立しようとただひたすら走ってきた。そういう人こそ新しい豊橋に必要なのだと動いた、しかし・・