特集「揺れる豊橋」(6)

出発!新しい豊橋へ
 一つの戦いが終わった、そしてそれは辛く厳しい結末であった。

10月2日
 臨時議会で前市長の辞職に同意。当然、次のポイントは新しい市長は誰か、具体的には11月10日から始まる出直し市長選挙の候補者をどう選ぶかであった。
 既にこの時点で早川前衆議院議員の市長選出馬は明確であり、対早川の候補者をどう立てるかであった。告示までは38日しかなく、10月8日から20日までは、初の小選挙区比例並立制による激闘の衆院選を自らが新進グループの中核として戦いきらなければならない事も明白。

10月4日
 さわやかな朝の空気の中で市内のマンションの一室で向かい合っていたのはコンピュータケミカルの分野では世界的権威でもある佐々木慎一氏。「開かれた大学」をめざし市内の国立豊橋技術科学大学学長を今春まで6年間。地域産業高度化と新産業の創造に挑むサイエンスクリエイト21計画のリーダー。 「豊橋に骨を埋める」と「豊橋市行革懇談会会長」「同環境審議会会長」「日独協会会長」等々「行動する英知」。

 それでもって理学博士とは思えない優しさと包容力、穏やかな歯切れのいい口調。

「先生は今度の事件をどう見ておられますか?」から始まった質問にひとつひとつ丁寧に真面目に答えて下さる。
「郷土の危機のこんな時こそ市民の中に入ってあるべき論陣を張って、市民に希望と、市政を軌道修正するための役割を果たされることはこの地に住むいわゆる知識人と言われる先生のような方々の義務だと思います」などと偉そうに言っても、「いやいや僕なんかは一介の教師でしたから」とにこっと笑いながら答えて下さる。

 あっと言う間の1時間。人に歴史あり。鮮やかな「人間」の前で自分のなんと小さく思えたことか。

 思えば市議1年生の9年前から毎月の産学交流サロンにほとんど出席させていただいてきた自分が、ジーッと遠くから、見つめてきた「人間」はこの人であった。「この人」の横顔を後ろ姿を見るだけで「人間の安心感」とそのむこうにある「人間の広がり」を与えられてきた。自分のような一介のそれも公明議員が場 違いな商工会議所主催の産学官の集いの場に通いつづけた理由の一つはそこにあった。
 そして今、豊橋再生のために「この人」の舞台こそ自分がなすべき使命だと決意して訪問した。しかし、先生は「自分はそんな器ではない。ちくりちくりと時にはぶすりともの申すご意見番が私にはあってます。ギリシャ以来の政治学を勉強し身につけるには深すぎます。」そのまた気持ちは固いとも思えた。
 総選挙の熱い戦いが続く中、市長選も水面下で懸命な動きが進行している。

 元副知事、現収入役と名前が出ては結局消えていった、そしてその頃から「佐々木先生がこの迷走する擁立劇に正義感で立ち上がろうとしておられる」との情報が次第次第に現実味を帯びてきていた。
 自民執行部の焦りの色は日増しに高くなり、佐々木先生側近との綿密な打ち合わせも続く。佐々木カードを出すタイミングは刻一刻と迫る。

10月20日
 夜、衆院選開票。大方の予想を裏切って最後まで接戦。
しかし午後10時すぎ、「愛知15区当選確実 村田敬次郎」
「皆様のこれほどのご支援いただきながら、期待に応えられませんでした・・」190cmの巨体を折り曲げて若い候補者が・・。事務所に厚い悲壮感が漂う。

 疲労困ぱいの中で体がふるえる。自民候補とのその差 10、477票、勝てる戦いであった、勝たなければならない戦いであった。しかし・・・・。
 負けたが確かな手応えと、市民が求める変革の熱いうねりはしかと受け止めた。

10月23日
 新進3派はこの頃までに佐々木氏擁立についての労組など支援団体の一定の手続きに内諾を得る。
 夕方、現収入役「候補を辞退したい」と自民執行部に伝える。

10月24日
 自民議員団総会を前に自民市議団三役に再び「現収入役擁立話しには乗れない」旨伝える。「市民の反発はあまりにも強く、収入役は執行機関でないという理屈は役所の中では通用しても、街へ出ると通用しない」
 併せて自民団長に佐々木氏擁立で検討要請。いよいよ陽の目を見た佐々木カード。

 刻一刻と時間は過ぎていく。ギリギリのそして大きな戦いが始まる。

 自民議員団総会。県議も加わり新たな選考委員会を作ったという。午後からは選考委員会。
 この頃、衆院選の共戦で培った連帯感で連日、我が家の事務所に新進グループ議員団(市議9人、県議1人)が集まって善後策協議。
併せて今後のスケジュール、公約のたたき台、選挙体制など草案。多角度から協議

 深夜、12時を回った頃、公明県議から連絡。「自民選考委員会が一定佐々木氏でまとまったので、明日、議員団総会を行い、午後からでも自民・新進グループの4派で一緒に要請にいけることになるかもしれないと自民県議より電話」

10月25日
 12時より自民議員団総会。2時になっても、3時になっても終わらない。終ったのは3時半、自民議員正副団長は新進3派に報告、
「この段階ではまとめることができなかった、佐々木先生を知っている人が少ない、大至急、庁内で集めれる資料を集めさせている」
「資料ならここに一杯ありますよ」
「いや、こちらで若手が動いている」
「だったら選考委員会メンバーで会いに行かれたらどうですか」
「いや、それは総会の了解が取れていないから、逆に新進グループだけで先行して動いてもらってもいい」
「いや、ここまで来たら4派揃って行くのがスジ。焦らずに待ちますからとにかく、急いで下さい」
「何と言うことですか。資料も用意せず何が選考委員会ですか」

 所が何度も何度もマスコミが「佐々木先生に要請にはいつ行くのですか」としつっこく聞きにくる。もしやと直接電話するが来客中で通じず。折り返し電話を待つ。

 4時半、地下駐車場の公衆電話からもう一度かける、やっと通じたが開口一番
「伊藤さん、大変お世話になったが、自民がまとまらない以上この話しは無理です。先ほどまで自民県議が来ておられました。終わりにしましょう。泥舟には乗れません」
「ちょ、ちょちょおっと待って下さい。自民の皆さんもものすごく苦労しておられます」
「いや今日までにまとまらなくて明日まとまっても信用できません、新進グループの皆さんには本当に申し訳ありませんがこれはなかったことにしましょう」
「と、と、とにかく電話は切らせていただきますが、私達はあきらめません。とにかく電話を切らせていただきます。失礼します」
 6時、我が事務所に新進グループ市議が緊急集合。善後策協議。途中、自民正副団長も加わり、「とにかく佐々木擁立で作業を急げ」
自民は26日に再び選考委員会を、新進グループは直ちに佐々木先生宅に訪問する。

10時、新進グループ4人で訪れたマンションの1室。
「とにかく先生、日増しに佐々木市長を望む声は届いていますし、市民が待っています」
「いや、皆さんの熱意には感謝しますが、心の火は消えました。」
「先生の火は消えても佐々木市長待望の市民の皆さんの火は消えていません」
「いや、もう灰です。これほどまでに泥舟だと思わなかった」
「でも明日もあさっても努力されます」
「いやもういいんです」
押し問答は時には熱っぽく、時には静かに、時には激しく・・・・・
「28日3時には会って下さい」
「それは約束しましょう」
深夜0時、佐々木邸を後にする。可能性は1割もないのか、自民が加わって2割か

10月26日
 5時「選考委員会は佐々木擁立を決めた。また団内のポイントのなる人にも個別に会った。明日の日曜日を返上し午後3時から自民総会を緊急に開き、必ずまとめる、その足で4派で要請に行けないだろうか」
「連絡を取ってみましょう」
「先生、明日日曜日は夕方お時間をとっていただけませんか」
「どなたといらっしゃるのですか」
「自民市議団も陣列にやっと加わっていただけます」
「もういいです、会いたくありません。28日、3時からは約束しましたから会いましょう」

10月28日
 運命の日、午前中は臨時議会。「入札制度調査特別委員会」設置を決定。直ちに第一回特別委員会。正副委員長互選。
「市政刷新の象徴として副委員長として頑張ります」
3時、サイエンスコア応接室。
「先生、今日になってしまったことはお詫びしますが、4派が揃ってお願いします。」
「失望させることになりますが、言葉は変わりません。お断りします」
「私達はこのまま早川市長誕生を指をくわえて見ているわけにいきません、何としても、新しい豊橋のために力を貸して下さい。戦わせて下さい。市民が待っています。」
「気持ちは解ります、しかしもう終わったことです」
毅然とした言葉だった。絶対揺れない。だから、そういう人だから擁立しようとただひたすら走ってきた。そういう人こそ新しい豊橋に必要なのだと動いた、しかし・・

新しい豊橋への大きな可能性が一つ消え、一つの戦いが終わった。

 記者団に囲まれ、インタビューに答えていた時。「あの人」の手が突然、横から出てきた。
「伊藤さんありがとう。期待に応えられなくて申し訳ない」
「本当に申し訳ありませんでした」
ほんの一瞬だった。体が震えて、こみ上げてくるものを押さえられなかった。

 次々と繰り出される見えない圧力。そして一部マスコミのタメにする記事、これらに雄々しく戦い、屈しないのが自分の求める地方議員像、昨秋よりパソコン通信で叫び続けてきた「地方議員よ立ち上がれ」はこの事だった。

 しかし、発言し続けてきた自分が戦いきれなかった。戦いきるだけの完璧な脚本、戦略でなかった。

 悔しかった。「新しい豊橋へ」の最後の一押しのために、あってはいけない自分の「甘さ」が悔しかった・・・・・・。

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