伊藤ひであきの地方からの提言


芦屋から三ノ宮まで、13年前の震災現場を歩いて

●風化させてはならない大震災の記憶

 13年前の2月4日、JRが芦屋まで開通するのを待ち構えて支援活動で神戸に行きました。芦屋から三ノ宮まで歩きました。凍てつく公園でテント生活を余儀なくされている避難者の皆さんの疲れきった表情、霜柱が融けて公衆便所の汚物と一緒に流れていました。そして何よりも、瓦礫の中から線香の煙がたなびき、ビンにさした一輪の花とみかんが添えられていました・・・・。すさまじい光景でした。息を呑むような光景に五体が震えました。今でも脳裏に張り付いています。

 あれから13年。1月19日(土)芦屋駅から三ノ宮駅まで13年前の記憶をたどりながら3時間掛けて歩きました。あの時、申し訳ないけど恐る恐る撮ってきた写真を片手に、同じ場所をどれだけ探し出せるかを目標にしましたが、3ヶ所しかみつけられませんでした。行く先々で、地震当時にいた人たちが、一生懸命に協力してくれましたが。

 芦屋市も東灘区も、区画整理がなされ、いたるところに公園が設置され、高層マンションが立ち並んでいて、空き地が目に付くほどで、13年前の光景は全く歴史のかなたに置かれていることを実感しました。

そして、なによりも13年の貴重な時間を掛けて、神戸の人たちがあゆんだ人生に思いをはせ、感無量になりました。「人間は強い、そして生き抜く人生はすばらしい」としみじみと思いました。
 また、政治に携わる一人の人間として、我が地域で、大地震に備えて「減災」にどれだけ尽力できるか、強い決意で、夕闇の神戸の町をあとにしました。


13年前の1995年2月4日の息を呑むような震災現場(芦屋市、神戸市東灘区)

 阪神淡路大震災から13年、亡くなられた6,434名 行方不明者3名のご冥福を祈りながら、芦屋から三ノ宮まで記憶をたどって歩いた。
 区画整理がなされ、いたるところに公園が設置され、マンションが立ち並んでいた。
13年前の面影もすっかり消えたように、見事に街は再生され、整備されていました。

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