伊藤ひであきの地方からの提言


朝市に人間が光る、笑顔が溢れる

「おじいさんは、元気?」
「ひであきさん、おじいさんねえ、だんだん悪くなってきとるんよ。お漏らしするようになって、この間から”おしめ”しだしたんよ」 「そっか、弱ってきとるか」
「本人は気丈にいるんだけどねえ。何とか、もう一度、元気にさせたりたい」
「そっか、また顔見に行くわ。精一杯、尽くしてやりんね。大変だけど」
「また、顔見にきたって。ひであきさんが来てくれると、おじいさん喜ぶで」

「どうなん、たこ焼き売れとるん」
「そうやねえ、寒くなると、かきいれどきやから、たこやきは」
「そうや、『ひであきレポート』もう一枚、おくれんよ。私のおばあさんが楽しみにしとる」
「おばあさんどこに住んどる?」
「おばあさんねん、ちょっと離れたとこに住んでるけど、政治が好きなんやわ」
「そっか、そのおばあさんが、わいの新聞を読んでくれてるの?」
「そう、朝市で頑張っとる議員さんがおるというと、おばあさんは涙流して喜んどる」
「そっか、じゃあ、おばあさんによろしくいっといてや」

「おばさん、一年間、よう働いたのん。いい正月、迎えてや」
「あいよ〜、先生もねえ。体、大事にしやあよ」
「ありがとうね。失礼じゃが、来年は、幾つになるねん」
「来年は77の喜寿。こうして朝市に来て、お客さんに元気、もらっとる」
「そっか、よう頑張るねえ。いい年迎えてや」

 3と8の日、私の家の近くで「三八朝市」が開かれる。八百屋さんや、果物屋さんや、洋服屋さん、こんにゃく屋さん・・、朝7時頃から昼頃まで、200mの道路の両側に、ござを敷き、テントを張って店を出す。

 豊橋の朝市の歴史は古い。戦前から始まったという。「一六市」、「二七市」、「四九市」、「五十市」そして、この「三八市」。
 昭和40年代は人並みであふれ、約百店が店を並べたという。今は、そのにぎわいはなくなった。年末最後の今日でも店は26店。それでも、客が売り手と世間話をしながら買うという昔ながらの風情は変らない。人間身残る風物詩であり、いつまでも残したい人文資源である。
 38万人の豊橋市で最も高齢化率の高い(29.1%)のがこの地域。郊外に大型スーパーが競い合い、身近な八百屋さんや、雑貨屋さんが店を閉める中で、車に乗れないお年寄りにとって、朝市は唯一の買い物広場であり、井戸端会議の場であり、交流の場であり、人間広場。

 この朝市に「ほんまもんの政治をめざして 『ひであきレポート』」の旗を立て、「ひであきレポート」を、配り続けてきた。20年。
 転勤で住み着いた私が、地域に根を張るために、一人一人と言葉を交わし、配り続けてきた。「大衆とともに」の何よりも大切な実践活動として、全てに優先して、立ち続けてきた。

 朝市の出店者の中で一番売れる八百屋さんは、朝一番のお客と、一段落してから来るお客と、10時頃来るお客とは求める商品が違うという。それに合わせて並べるのがコツという。
 その次に売れるのは、人気者のだんごやさん。秘伝のたれがお客を放さない。その店主は寝たきりのご主人の介護をしながら頑張る。

 薄皮をはぐように、朝市で対話の輪は、広がり、青空市民相談の場となり、青空政治討論の場になった。20年という歳月を費やして、コツコツと配り続け、交わした会話の積み重ねが、いつのまにか、この朝市に住みついた。

朝市には真心が交錯している。
朝市には笑顔が溢れている。
そして、朝市に人間が光っている。



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