伊藤ひであきの地方からの提言


06初夏 負けるな!村瀬社会保険庁長官      2006.06.01

●筋違いな退任要求!

 ツツジが終わり、サツキが主役になろうとしています。

 村瀬清司長官には、今が一番大変な時かとご推察申し上げます。連日の「年金不正免除申請の問題」にご心労いかばかりかと存じます。

 そうした中で、あるメディアが行った世論調査で「『村瀬社会保険庁長官は辞職すべきか』というアンケートに6割の人が「辞職すべきだと答えた」ことを引用して、辞職についてどう思うか」という質問に「今は真相解明と社会保険庁の改革を進めることが全て。私が辞めて改革は進むのか」と苦渋の中にありながらもキッパリと言い切られていた姿が印象的でした。

 問題は、各地の社保事務所が、楽をしながら納付率を上げるために、本人に無断で保険料免除の書類を不正に作成したことにあり、年金財政をさらに悪化させ、何よりも年金不信を増幅させています。

 また事務局長など社保庁官僚はそれを黙認していたことにあります。民主党がいうように村瀬路線が要求する「ノルマ」が不正の原因、などという見方は、ぬるま湯に慣れきった集団の言い訳を認めるものであり、責任転嫁以外の何者でもありません。

●ぬるま湯体質はどこから

 老婆心ながら、私自身も約15年間、企業の営業マンとして、民間会社の厳しい営業ノルマの世界に身を投じ、走りぬいてまいりました。
 毎月末の〆はそれは厳しい問題がありました。支店・営業所原計(ノルマ)はいかなることがあっても達成するのが当然の会社でございました。「頑張ったけど、売れませんでした」が通らない世界でした。
 おそらく、村瀬長官が属されていた損保保険の営業現場でも、同じような現場があったかと存じます。

 ノルマ達成の重圧に押しつぶされそうになっても、「朝駆け夜討ちで動き回ることができたのはなぜか」。営業マンとしての誇りもありましたが、何よりも売れない営業マンは即刻クビになるからであり、頑張れば給与に反映され、昇給し、支店・営業所経費が増額されるからだからです。

 社会保険事務所で「年金の納付率を60%台から80%に07年度までに達成する」となると、そのことに真正面から挑むのでなく、そのことを操作によって数字を挙げようとする公務員の体質はどこからうまれるのでしょうか。
 なによりも「余程悪いことをやらなければクビにならない」(たとえば地方公務員法第29条:職員が次の各号の一に該当する場合においては、これに対し懲戒処分として戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる。1.この法律若しくは第57条に規定する特例を定めた法律又はこれに基く条例、地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に違反した場合、2.職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合、3.全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合)という「公務員法」により身分が保障されているからです。
 そしてまた、集金に歩かなくて、徴収という世界でございます。また、「組合協約」があり、自治労を初めとする強固な労働組合により守られているのです。

●本質は公務員制度

 一連の問題の本質は「公務員制度」そのものなのです。この壁をたたき壊さなければ、体質は変わらないのではないか!民間企業の営業マンから転進して、20年間、地方政治の場で「歯軋りしながら」走りぬいてきた実感でございます。

 しかし、それにはゆるやかな斬新的な移行が求められるのです。体質は急激には変わりません。人間はそんな器用にはできていないのではないかと思います。焦らずに、体質改善の警鐘を鳴らし続ける間断なき作業の繰り返し、そして、そのための仕組みをつくり、そこに魂を入れ込んでいく作業以外に道はないのではないかと思います。

 「土曜開庁」「夜間開庁」「インターネットによる年金確認」など多くの国民は明らかに変わってきた社会保険庁を評価している部分も一杯ございます。どうぞ、社会保険庁改革に勇気と自信を持って粘り強くお取り組みいただきますよう、お祈り申し上げます。

●負けるな!村瀬長官!

 5月27日、静岡県長泉町の「クレマティスの丘」に長官と同じ大垣北高校の同窓の仲間が集い、充実したひと時を過ごさせていただきました。そこで集まった仲間たちは一様に「テレビに映し出された村瀬長官の苦渋の表情に、同じ同窓の仲間としてなにかできないか」と思いを共有し、「寄せ書き」となりました。拙い形になりましたが、「思い」だけは受け取ってください。

 40年前、あかねさす大垣北高校のグランドで白球を追っていた村瀬長官。進学校だったけど甲子園一歩手前の夏の岐阜県大会決勝戦は延長の末での涙の敗退でした。毎日、毎日バットの素振りを繰り返し、100本ノックの嵐に泥だらけだった「2番セカンド村瀬」を思い出します。
 それは、何のためだったのでしょうか。「負けない!北高野球部」の体質を体にしみこませるためだったはずです。なぜ「2番村瀬」だったのでしょうか。それは「チームを勝たせるために」確実に犠打を決め、チャンスを広いげるためだったはずです。
 就任されたときの記者会見で「私一人でできる仕事ではないので、官、民すべての人たちの知恵と力を借りて、信頼できる社会保険庁にしていきたい。」と述べておられましたが、まさに「2番セカンド村瀬」と大変に感銘を受けました。

 お体だけは大切に、頑張れ!村瀬長官、負けるな。


ホームページに戻る