伊藤ひであきの地方からの提言


06初夏 地方議会は自ら変われるか      2006.05.09

 連休が空け、全国のほとんどの地方議会では役員改選の時を迎えている。「議会とは何か」、改めて思いをはせざるを得ないこの時期です。

●たらい回しの「軽さ」ではないはず

 特に議長、副議長を始め、議会選出監査委員などの議会三役や常任委員会、特別委員会の正副委員長などが、様々な思いが交錯し、話し合いが続けられ、ついには駆け引き、策略などが水面下で展開され、会派割当とともに形が決まっていく。

 我が豊橋市議会においても、連休前に最大会派所属の現議長が「市制100周年の記念の年であり、継続して事業を展開するためにここで交代するのはいかがなものか。一年経って慣例に従っての辞表は提出しない」と続投宣言をしたことから、大騒動。結局、連休明けの昨日には辞表を書き副議長に提出したとかで一段落?・・・。

 議会は、自ら議長、副議長を選挙する権限をもち、自治体の議決機関としてその意思を決定する権限を持っている。「仲良く一年でいいじゃないか」というようなポストのたらい回しのような「軽さ」ではないはずだ。
 その意味で豊橋の現議長の続投宣言は意味があったが、いかんせん、足元の合意がとれていなかった。結局、10日間でもとのもくあみである。「議長複数年制を最大会派が検討する」と約したので、目的は果たされたとか。

●内外から議会変革のプレッシャー

 今や地方議会は議長が中心となって、しっかりとした政策議会の体制を作り、現実化していかなければならない重要な時であるはずだ。
 いうまでもなく、「議会は、その地域の民意を束ねる場であり、地方議会自らが政策論争の場となり、首長の提案内容を白熱した論議の果てに独自に修正し、様々な政策提案のできる立法機関になるならば、日本の自治は大きく変わるだろう」(「地方は変われるか」ちくま新書:佐々木信夫著)との指摘は古くて、新しく、最近盛んに指摘されていることである。

 このことは取りも直さず、三位一体改革の進展と共に「自立した自治体経営」が求められ、待ったなしの行政改革、聖域なき構造改革の風圧にさらされ、併せて3232自治体が平成の大合併により1821にまで量的に激変し、いやがうえにも地方議会には質的変化が迫られている証である。
 そのうえに情報公開、IT革命−その本質は「草の根情報主権の革命」である−進展が複合的に結びつき、議員たちの仕事ぶりが真正面から問われているし、議会を見る住民の目も一段と厳しくなっている。「審議内容を理解していない議員が多い。もっと勉強してほしい」。議会を傍聴した人だけでなく、地元CATVで同時中継されるようになって、しばしばこんな声も聞こえてくる。あげくの果ては「議員なんて、半分でいい」などという激しい声も。

 国においても「地方自治法」の改正が審議中であり、特に議会制度の見直しにおいて(1)議長に、臨時会の招集請求権を付与します。(2)専決処分の要件を明確化します。(3)議員の複数常任委員会への所属制限を廃止し、委員会の委員は、閉会中においても議長が指名することによって選任できることとし、また、委員会の議案提出権を認めます。(4)学識経験者等の知見を活用し、政策立案機能を強化します。などが審議中で成立の見通し。

●責務大きい地方議会人

 戦後60年、日本の地方自治体は「行政あって政治なし」「執行あって経営なし」といわれ続けてきた。ところが、今や時代は必然的に、納税者である住民は当然的に、「政治と経営」を極めて重要なキーワードとして行政と議会に突きつけている。

 ならば議会はチェック機関から立法機関に脱皮し、そうしたニーズに答えなければならない。今ほど議会と議員は、立法者として、決定者として、監視者として新たな飛躍が求められている時はない。

 連休中に訪れた栗と花と文化の町-長野県小布施町、その一角で手にした「小布施物語」(里文出版:新堀邦治著)の推薦帯にこう書いてあった。
 「小布施と同じ情熱を他の自治体の首長や議員も抱いたならば、日本はもっと進化する」と。
 人口1万1千人の農業と過疎の町−小布施の活性化に命をかけた人があったからこそ、あの町に年間120万人もの人が集まる。小布施の人たちは自分の地域に誇りを持って「小布施人(おぶせびと)と自称する。

 結局、自分の職務や自分の住んでいるところの活性化に命を懸けることからしか、時流に逆らって地方の活力は生まれてこないのかもしれない。

 その地域住民の負託を受けた地方議会人の責務はあまりにも大きい。


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