と田坂氏は語る。6年前によくぞ、これだけの紙面を割いて、我が公明新聞が掲載したものだと敬服します。
●高度な情報共有が身近に
今や、例えば、金沢市へ行って「21世紀美術館」に入館したとして、いや行かなくてもニュースでその美術館を知ったとして「どのような議会論議を経て、このような美術館が建設されたのだろうか」と疑問に思ったら、金沢市議会のホームページにアクセスし、議事録検索システムから「21世紀美術館」を検索すれば「総事業費の約 250億円については、失業率が高く、景気が後退している今、市民に大きな負担がかかるプロジェクトであり、この予算の執行には市民も大きな関心を抱いております」などの論議が次から次へと知ることができます。
今までは、金沢市議会へ議会事務局を通じて関係議事録の送付をお願いし、郵送されてくるか、FAX送信されるのを待つ以外になかった。ましてや、普通の人が入手するにはとにかく金沢市にいかなければ手に入りにくかった。
まさに、情報革命の真っ只中に私たちは存在し、地方に居ながら、いや自宅でパソコンの前に座りながらその恩恵を等しく享受できるようになりました。
●私にとってのIT革命
愛知県東部の豊橋市で地方政治に取り組んでいた私が「宗教法人法改正に異議あり」をパソコン通信NIFTYの政治フォーラムにアップしたのは1995年11月18日の公明党結成記念日の翌日という意義ある日です。
しかし、その日から始まった猛烈なパッシングコメント。「伊藤さんの意見がいかに見当違いかは明らか、聖教新聞や公明新聞にしか根拠がない」と鋭く切り込まれた。それでも「新進党・公明(当時)の方が初めて現れた」と激しいやりとりのなかでも大事にしていただいたのは、当時のパソコン通信に参加していた人たちの見識でしょうか。
そして、Windows95の時代になり、いち早くホームページ「ひであきレポート」を開設したのが10年前の1996年11月、足掛け10年が経過しました。
私にとって、幸いだったのは勤務していた企業が議員にさせていただく前の昭和58年からコンピュータを導入し、まがりなりにもコンピュータをマスターしてから昭和62年に議員にさせていただいたことです。
議員になってすぐに、PC98のDOSで「市民相談管理プログラム」をつくり、運用してきたのも、またコンピュータのベンチャーに議員をしながら携わることができ、経済的問題をクリアできたのも、上記のプロセスをいち早く歩めたのも、企業でのコンピュータ経験のお陰です。
先日、私のホームページのアクセス数は8万件を越えました。全国に多くの地方自治に目覚めたる友ができ、ホームページに蓄積した様々な発信情報は、私の政策データベースそのものであり、私の人生記録そのものです。そして、そのまま私の草の根議員としての生き様です。
また、己が不明を恥じながらも、ホームページに発信し続ける事は「地方主権の時代の地方議員の役割と責任」を逆に重く自分に迫られる事にもなります。そのことがまた、私を政策研鑽へ、行動する地方議員へ精進を迫ります。
私にとってのIT革命−具体的には「ホームページ」は私自身の「地方議員革命」をもたらしました。ほんまもんの政治を求めて、立ち上がるための。