伊藤ひであきの地方からの提言


06新春 我ら団塊の世代      2006.01.15

●戦後60年の演出者

 久しぶりに高校の同窓会が故郷(岐阜県大垣市)で開かれ参加した。昭和40年3月に卒業して40年余の歳月が流れて青春真っ盛りだった同窓の友もいよいよ来年には還暦を迎える。

 私たちは戦後の第一次ベビーブーム(昭和22年から24年)に生まれたいわゆる「団塊の世代」の第一陣であり、来年(2007年)以降に定年退職年齢の60歳に達し、職場から引退し始める。現在約680万人といわれるこの団塊の世代が他の世代に比べ突出して多いがゆえに年金給付増大などによって社会保障制度に大きな影響が及ぶと懸念されている(2007年問題)。 

 私たちは入学と同時にすし詰め教室で学び、高校入試、大学入試で教育を揺るがした。多感な中学時代には日米安保闘争、高校時代にはベトナム戦争、大学・青春時代は大学紛争と、否応なしに「自己否定」と「反戦・平和」を旗印に社会変革を進める側に回った。

 サラリーマン時代には、高度経済成長の担い手として、またドルショックや石油ショックの逆風を受けながらも「企業戦士」「モーレツ社員」と揶揄されながら奔走し、数の多さでいや応なく年功序列や終身雇用など日本型雇用の一角を突き崩した。
 バブルの崩壊、そして定年まじかに控えたこの4,5年、リストラの嵐が襲い、右肩下がりのまま我ら団塊の世代は「老い」の入り口にさしかかる。

 戦後60年という。団塊の世代がその戦後60年の変化の演出者を努めてきた。そして、ふと時代を見渡すと「人間がそこまでするか」と怒りのたぎる事件が相次いでいます。青春かけて走りぬいてきた60年かけて「私たちは何をしたのか、どこへ来てしまったのだ」と思い屈する最近です。

●多くを得、多くを失った

 「ニュースなんかもう見たくない」とこぼす人もいるほどの嫌な社会です。  「ごめんなさい、ごめんなさい」と言う幼子が、虐待死させられる。その哀れさに胸が裂けます。下校途中に殺されたいたいけな少女たちの無残さには余りあります。遺族の悲嘆いかばかりか。
 弱者だから襲う。欺す。そんな犯罪の多さに、いたたまれなくなります。血を見たい、毒に侵されゆく過程の死にざまを見たいからという事件も続きました。インターネット上にゆがんだ内心をさらし、誘いの魔手を伸ばし、さながら能面のような平然とした顔で凶行に及ぶ。
 最も尊重されるべきは人間の生命であったはずです。弱き者を守ることだったはずです。なのに、ダイヤ優先で乗客を忘れたためにあのJR福知山線の大惨事。
 儲けるために、倒れても構わぬマンションやホテルを建てて売りさばく。耐震偽装事件は、市場万能主義、規制緩和の流れに乗って強者の欲求は肥大化し、利己主義きわまれりの象徴のように思われます。

 多くを得、多くを失ってもきました。貧しさを脱し飽食にまで至りました。カー・クーラー・カラーテレビの3Cをはじめに、次々と手に入れて充足のあげくは廃棄物で埋まる暮らし。戦後の焦土で生を受けた私たちはこんな社会を築くために汗してきたのでしょうか。
 大切なのは何か。一番大事なことは何なのか。それが分からなくなった人、考えようともしない社会がメディアで増幅されているように思えてなりません。科学の発達につれて人間性が喪失する−かって示された公式の正しさを未曾有のIT社会の中で痛感させられます。
 今や、富める者はますます富み、貧しきものはますます窮していく新たな階層格差が広がり、「危うさ」も露呈しています。「まじめに働く人が報われる社会」のためにはそのセーフティネットを強固にし、地域社会に構築しなければなりません。

●人間主義の旗、高く

 しかし、私たちが有権者として政治に目を向けようとした頃、結党された政党があった。「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との立党精神を掲げた公明党である。理念と哲学なき日本の政治に「生命尊厳の仏法哲学」を携えて「21世紀を生命の世紀に」と人間の善の連帯を築かんとする目覚めたる民衆によって支えられている政党である。
 「大衆とともに」は決して弱者のあがきではない。無明の闇に覆われた人間社会の諸問題を打開し、「希望と安心の人間世紀」構築への確かな政治行動原理そのものではないのか。政治はどこまでも「大衆のため」の「大衆のもの」であるはずだから。

 今、使命あってその陣列の末席を勤めさせていただいている。「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり抜いていく作業である」(マックス・ウエーバー「職業としての政治」)ならば、時代変革の情熱をたぎらせ、今年もまた走り抜く決意である。


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