伊藤ひであきの地方からの提言


05秋 柏崎にて 拉致問題を考える      2005.11.06

 10月21日、22日と新潟県柏崎市に滞在し、「東海・近畿・北陸三地区都市監査事務研修会」に参加していました。

会場に隣接する柏崎市役所の玄関前は同級生たちが蓮池さん夫婦を迎え、感激の再会をした場所です。そして会場となった柏崎市市民会館こそ、3年前の10月15日に蓮池薫さん夫婦が24年ぶりに帰国し、同17日に柏崎に戻って、固い表情で記者会見された場所です。

 「拉致問題を取材して」と題しての新潟日報社論説委員の小町孝夫氏の講演は「新聞記者は書くのが仕事で、話すのは苦手なんです」と謙遜しながら淡々と話された一時間は重い時間でした。
 特に「拉致事件はなぜ起きたか」についてのくだりは示唆に富む内容でした。

●朝鮮半島はまだ「戦争状態」

 1948年8月15日この日は日本にとっては終戦記念日であるが、朝鮮側から見れば「光複節」といわれ日本の植民地支配が終わって闇から光が戻った時です。李承晩はアメリカの主導の下で南に大韓民国を建国し、ソ連・中国共産党が後押しする北半分は金日成が北朝鮮政権を樹立、日本の敗戦によって、やっと免れた「植民地支配」に倍加する祖国分断という悲劇に見舞われていく。
 南北に分断された朝鮮半島を同じ民族であるがゆえに一つの国家に統一したいという特に北朝鮮側の野望が強く、韓国を北朝鮮主導のもとで統一しようとする動きとなり、ぶつかりあったのが1950年の朝鮮戦争。
 そして1953年の終戦でなく休戦協定が成立する。その状態のまま「戦争はいつでもできる」という状態で50年以上もの緊張状態で今日に至っている。

 統一に失敗した金日成はそれ以降も、北朝鮮労働党の「韓国で革命を起し祖国を統一しよう」という党規約に従って行動し、これに対抗する韓国側のKCIAと火花を散らした情報活動・工作活動を展開し、朴大統領の暗殺、大統領府の襲撃などにことごとく失敗していく。

●朝鮮半島の特殊事情のなかでの拉致問題

 そして1975年の北ベトナムが南の解放戦線を使ってベトナムが統一されたという国際情勢の大きな変化が、金日成をして「ベトナムでできたことが朝鮮半島でできないものか」という強い思いにかられ暴走していくことになる。
 さらにカーター政権の韓国米軍の撤退の動きなどもあり、韓国への潜入―それも日本人のパスポートを使っての潜入工作を活発化させていく。その典型が1987年に起こった大韓航空機の爆破事件である。
 またその頃、金日成の後継者問題があり、息子金正日は功を焦り、周囲に認められるためにも革命への実績が必要になる。そのための秘密工作組織の必要性・・こうした背景があってここに日本人が巻き込まれていく。
 また「革命を有利に展開するために、新潟港に入港する帰国船を最大限に利用して同志たちは革命に有利な仕事をしなければならない。南朝鮮革命に必要ならば日本人を使って韓国に革命を起すための秘密工作はできないものか。必要ならば拘束・拉致工作もしなければならない。日本人を使って対韓工作を有利に展開せよ」という金正日の秘密教示がなされていることも脱北者のもたらした資料の中に読み取ることができる。(「拉致」金賛汀著(ちくま書房))

 そして、このような朝鮮半島の特殊な情勢のなかで1970年代後半から80年代に集中して拉致事件が起きる。77/9石川県で久米さんの失踪、77/11横田めぐみさん、78/7地村さんと富貴江さん、7/31蓮池さんと祐木子さん、8/12曽我ひとみさん母子・・・・1983年の有村さんがコペンハーゲンで失踪するまで続く。

 2002年9月の小泉首相と金正日との会談で「私は知らなかったが、1970年代後半から80年代前半に北朝鮮の特殊工作機関が暴走した」と金正日は謝罪している。一つは日本語を学ぶ体制作りのために、もう一つは他人の身分を利用して南に入るために。

●解決の糸口はあるのか

 拉致問題を早期に解決しなければ何のための政府かということになる。日本人が麻袋に詰められて拉致されて、死んでしまったから解決済みだといわれておめおめさがれるのか。

 解決の糸口は少しづつ見えてきた。9/19に6ヶ国協議の共同声明が発表になり核放棄が記され、平壌宣言に従いながら日本と北朝鮮の対話を始めることが確認された。日本を含む6ヶ国が見詰める中で対話が始まることは少しは前進ではないか。
 1960年代以降、自分では食えない国であり、北朝鮮の生命維持装置は中国が握っている。日本からの支援もどうしても欲しい。ここらあたりを外交カードに使ってやっていくべきではないのか。経済制裁の構えだけは示さなければならない。
 また、その一方で中国と韓国の協力も必要であるが、残念ながら靖国問題で日本と中国・韓国の関係は凍り付いている。

 北朝鮮まで700`しか離れていない、そこに生死不明な人たちがいる。特定拉致被害者と国が認めた人は16人だが、拉致されたと思われる失踪者は400人にも上る。
 またその人たちの帰りを待っているご家族の高齢化も進んでいて、横田さんをはじめご家族の方は命と引き換えに戦っていることを忘れないで欲しい。


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