伊藤ひであきの地方からの提言


05春 路面電車は生き残れるか      2005.03.31

●路面電車の明暗

 3月31日、豊橋市では、市内を走る路面電車(豊橋鉄道経営)の路線に新駅「駅前大通」電停が設置され、晴れやかにオープニングセレモニーが行われました。中心市街地の回遊性と商店街の活性化、そして何よりも路面電車の活性化のために本会議で提案し続けて7年、感無量です。

 同じ日、我が青春の岐阜市(昭和40年から54年まで19歳から32歳まで岐阜市在住)ではこの日岐阜市内線などの名鉄三線(写真右)が最後の運転でにぎわい、明日から街を駆け抜けてきた路面電車の姿が見られなくなります。残念な限りです。
 しかし、その廃線となる岐阜の車両が8台豊橋市内で走ることになります。

●LRTは世界の流れ、逆行する日本

 世界ではLRT(ライトレールトランジェット)とTDM(交通需要マネージメント)を組み合わせ、都市計画に基づいて整備された総合交通システムが採用され、1978年以来70ヶ所以上の都市で路面電車が新設又は復活しています。
 この流れの理由は@自動車交通の行き詰まり対策A地球温暖化など環境対策B高齢化社会に対応したバリアフリー対策C衰退した都心再生対策に要約されます。
 平成11年度にはアメリカ・デトロイト市、平成12年度にはドイツ・ベルリン市、平成14年度にはドイツ・カールスルーエ市などに派遣し調査した「豊橋市議会海外派遣報告書」にはこうした動きが明確に記述してあります。

 ところが先進国の中でこの動きが全くないどころが、今回の岐阜市のように廃止に至るケースまであるのが日本です。

●「柳ヶ瀬」はなぜ寂れたか

 豊橋市において「路面電車サミット'99 inとよはし」が開催された。その時のシンポジュウムで、「タウンクリエイター」代表の松村 みち子氏(岐阜大学大学院で「土木計画学」を学び、特に第3セクター鉄道を研究)から注目した発言があった。
 「車に頼る都市づくりには限界がある。アメリカもLRTが主流になりつつある。これからの100年はクルマに依存しない環境重視の社会になる。
 岐阜市に長く住んでいたが、1966年に市長が『路面電車がないのを当市の誇りにする』と言って撤去した。いま1999年は近鉄百貨店の撤退宣言で市民はショックを受けている。 駅〜柳ヶ瀬間800m、これがだいじなのだが寂れた」と。

●生き残りへ懸命

 豊橋では路面電車についてはビール電車とかお菓子電車などのイベント電車の運行、6月の夜店の沿線沿いでの開催など今日まで様々な取組みがなされてきた。

 しかし、民間鉄道事業者の経営に託されているのが豊橋の路面電車の特徴。昭和38年の一日28,219人 年間957万人の利用者がピーク。沿線沿いにあった市民病院や市体育館が郊外に移転し、今では一日約8000人、年間290万人と1/3になり、経営的には人件費を切り詰め、それでも年間4500万円の赤字。これが実態。
 「何とか1日1000人乗降客が増えなければ将来にわたる存続は難しい」のが現実。
 終着電停である岩田運動公園や赤岩電停には駐輪場が併設されパーク&ライド方式が整いつつある。ドラゴンズ主催のプロ野球が一試合誘致され、二軍戦も毎年二試合誘致でき、沿線沿いの「市民球場」で行われるようになった。
 LRTの柱である低床車両導入の動きも「とよはし市電を愛する会」を中心に進められているが何せ一両約2億円という。補助金で約5千万円、鉄道事業者が5千万円用意しても残り一億円。この一億円を一人1万円で1万人の市民のカンパで賄えないかとやる気である。

●LRTで環境文化都市を

 豊橋市ではさらに、「豊橋市都市交通ビジョン」を策定した。「ビジョンでは”自動車優先の社会からの転換を促し、人優先の社会に向けた取り組みを進め都市交通体系を構築していく」としている。
 そして、新年度「都市交通マスタープラン」を策定する。LRTがどう具体化されるか。

 京都議定書も発効された今こそ、CO2排出量を削減し、自動車社会により破壊されたコミュニティを再生し、中心市街地の活性化に結びつけ、街並みも美しくなり、街中での利便性を向上させ、人々の都心滞在時間が延びる。その結果、最終的には文化の再生にもつながる。

東海地方の岐阜市と我が豊橋市で路面電車の明暗が分かれたこの日、経済大国から環境大国への転換を叫ばずにはおれない。


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