伊藤ひであきの地方からの提言


05新春 「夏みかん並木」の教えるもの      2005.01.31

●りんごにはみかんだ

 日本列島が寒波に包まれた1月31日(月)、愛知県豊橋市の青陵(せいりょう)街道の「夏みかん並木」で豊橋市立青陵中学生1,2年生400人の若い歓声がこだましました。豊橋の風物詩−夏みかんの収穫です。
 青陵街道の約600mの両側に植えられている夏みかんの木は95本。今年も大きな夏みかんをたわわに実らせ、収穫は4000個。これらは福祉施設や小学校、そして長野県飯田東中学に贈られます。

 昭和35年5月頃から校内美化運動に一定の成果を収めた青陵中学生徒会は、これを校外に及ぼそうという発想から時の太田生徒会長らは「大火災で沈む飯田市民に元気になってもらおうと飯田東中学生徒会がりんご並木を作った」ニュースに感動し、「りんごにはみかんだ」と「夏みかん並木」を企てた。
 それも中学校の校庭でなく、校外に、それも交通量の多い県道に・・。 市当局、警察署との度々の交渉を経て、ようやく計画の実現の運びとなった。

 昭和36年2月、第一回 資金集め募金で6849円、廃品回収で9900円が集まったのを契機に卒業式前の3月11日各学級ひとつずつ38穴の穴を掘った。穴だけ掘って卒業した太田生徒会長こそ、現公明党幹事長代行−太田昭宏氏である。

 太田幹事長代行のHPでは「青陵中学校時代に生徒会長として、国道に夏みかん並木を植樹することを提案。『実がなったら人に取られるさ』という人に、『ボク達はそういうことのない世の中にしたいのです』と反論」というエピソードも紹介されています。

●学校と地域と生徒と住民が

 昭和36年4月、第一次植樹計画。各学級1本で38本を植えたのがこの青陵街道「夏みかん並木」の始まりである。校区の「夏みかん名人」に指導を仰ぎながら除草、消毒、防霜、施肥と年間作業計画も立て、毎年生徒会が中心となり、生徒と地域とPTAが守り育てた。この間、飯田東中学を訪問しての交換会も行われた。

 昭和41年2月5日、大小併せて60個の夏みかんを初収穫、待ちに待った5年ぶりの感激の夏みかんは廊下に並べられ、全校生徒が喜びを分かち合った。
 昭和42年11月11日、豊橋文化協会より文化奨励賞を受け、昭和43年5月29日 NHKテレビ「明日は君たちのもの」で紹介された。これを知った詩人サトウハチローさんから「きいろが黄色が輝きになる」の詩が送られた。

●市民ソフトパワーこそ

 平成4年3月豊橋市議会で「豊かで住みよい緑とひとのまち−豊橋」を将来都市像とした「豊橋市基本構想」が議決された時の賛成討論で私はこの「夏みかん並木」を紹介した。
 「今日まで青陵中学生徒会と地域の人たちが一体となって流した尊い汗にみどりの都−豊橋づくりに走った先人の気概を見るのです。

 詩人サトウハチロー先生から長文の詩が送られています。
  夏みかんの並木道
  思っただけでも楽しくなる
  きいろい でこぼこ坊主の夏みかん
で始まる詩の中に次の一節があります。
  このくわだては愛から出発している
  街を愛する心
  みどりを愛するきもち
  すがすがしさを愛するものが
  一つになっての並木道づくりになれるのだ

 将来都市像を可能たらしめるために市長ならびに行政のリーダーシップは当然のこととして、市民の側の内発的エネルギーと目覚めたる市民のスクラムが不可欠であることを「夏みかん並木」から確認したいのであります」(豊橋市議会議事録より抜粋)

 「夏みかん並木」を育ててきた「夏みかんと人」の歴史は45年目を迎えます。「地域に開いた学校教育」「市民協働のまちづくり」という「教育と地域の再生に何が必要なのか」を「夏みかん並木」は教えています。
 また45年前にそのことに取り組んだ先人たちの知恵と行動力に「まちづくり」の先見性とモデルをみるのです。

 青陵街道の夏みかんの収穫が終わり、2月の「鬼祭り」で赤鬼がまちを走り回ると豊橋の春が始まります。


ホームページに戻る