★「ひであき」のつれづれ時評 ★


8月31日 04夏 憲法第9条を考える
●青い目の人形

 この夏、 豊橋市内で「子どものための平和展」(市教委・平和教育研究委員会共催)が開かれ、夏休みを利用した親子連れなどが戦争と平和について学んでいた。
 ひと際目をひいたのが青い目の人形「コネタ」。日米関係が悪化した昭和初期、平和の使者として全米各地から寄せられた人形が戦争という不幸な状態の中で敵国人形として壊されたり、焼かれたりした時、「人形に罪はない」と善意ある人たちによって隠し続けられ、生き延びた人形が「コネタ」。子どもたちに平和の尊さを教えている。

●9条堅持批判

 気になる、看過できない情報がある。8月27日付読売新聞の記事と社説である。それによると「公明党は25日、党憲法調査会(座長・太田昭宏幹事長代行)を開き、9条の扱いについて、現行の条文を堅持し、修正を加えない方針で大筋一致した。
 神崎代表ら執行部は、10月末の党大会で示す憲法改正の党見解に9条堅持の方針を盛り込む方向で調整する」と報道し、社説では「公明党の論議は尽くされたのか」と題し「政権与党の一角を占める責任ある政党として、いささか理解に苦しむ姿勢である」とこうした公明党の動きを批判している。

●言葉こそ迫真力

 論を進める前に、現在の様々な憲法改定の動きの中で「憲法改正」という言葉がしばしば使われる。いや、その言葉が定着してしまっている。憲法改正か憲法改悪かはやってみないと判らない。立場によっても異なる。歳月をかけて歴史が判断することである。
 その様な類のものを「改正」と最初から決めつけるところに権力の怖さが潜んでいるような気がしてならない。正確には「憲法改定」でしょう。このほうが妙な迫力が無くて冷静にコミットできます。呼称として汎用化しているため、今更違う表現をすることは難しいのでしょうが。政治は言葉です。レトリックに命を賭けることこそ政治家の迫真力でしょう。よって、以下、「憲法改定」に統一します。

●日本国憲法


 日本国憲法には何が書いてあるのか。前文では

 ・・・「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」とある。

 そして、第2章第9条には【戦争の放棄,軍備及び交戦権の否認】が明記してある。
(1)日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。

(2)前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない


 この「憲法前文」と「九条」の関係は様々な論議があるが、「憲法前文の精神は積極的、能動的な平和主義の精神であるとして、軍事的国際貢献を正当化する議論があるが、前文の抽象的な理念を実現する具体的な手段について、九条は戦争放棄を規定しているのであり、平和主義は平和的手段によって実現されなければならない。(基本法コンメンタール)」とする考え方に私は賛同する。

●九条改定問題

 全国でこの夏、開催された議員研修会ではこの憲法改定問題が取り上げられ、党憲法調査会の「論点整理」が資料として配布されたはずである。(この資料は決して新しいものでなく6月中旬に公明新聞に掲載された)そこに第2章「戦争の放棄(第9条)」について整理されているが、要約すれば「現行規定を堅持すべきだとの党のこれまでの姿勢を覆す議論には至っていない」とし、自衛隊の存在や国際貢献の必要性を新たに盛り込む意見も列記している。

 まさに「九条は」、憲法改定問題の核心である。冷戦が終結し、国際テロなど、脅威の変化と多様化・複雑化によって、憲法制定時と今日とでは、安全保障環境は大きく様変わりしている。劇的に変わるワールド・ワイドな中にあって、”世界の中の日本”のありようも問われている。当然、憲法と現実との乖離(かいり)が最もはなはだしい九条の改定問題が、現実的な課題となっているのは、当然かもしれない。

 しかし、世論調査では憲法改定賛成が半数を超しつつも、平和憲法の象徴である第9条改正は半数以下にとどまっていることもまた事実であり、この事は何を物語るのか。
 「悲惨な大戦の体験、特に世界で唯一の被爆国の悲惨な歴史を踏まえ、日本人は憲法9条を大事にしたいという素朴な思い」を持っていることの証明ではないのかと考える。

●行動する平和主義

 その上で「平和は単に願うだけでは守ることができない時代であり、平和を創造、構築するために積極的な行動をしなければならない」からこそ、9・11以後、「テロ特措法」や「イラク復興支援特措法」を成立させ、自衛隊の派遣を進めてきたのも、この「行動する平和主義」に沿ったものだったはずです。
 そして、それは「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」(前文)他者への熱きまなざしで「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」(前文)ために行動することであり、「武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する」(九条)ことに徹した人道復興支援をどこまでも追及した判断であったはずです。

 そうした、懸命の「公明党の行動する平和主義」に支援団体である創価学会の皆さんは理解を示し、特に、戦争、武力などの言葉にだけでも敏感な婦人部や青年部の皆さんの奮闘により、猛暑の中の参院選で過去最高票をもぎとっていただいたのではないか。
 また、公明党は一貫して「9条」を守る姿勢だからこそ、多くの国民から「日本の右傾化にブレーキをかける役割を公明党に期待して」公明党の議席を増やしていただいたのではないのか。

●連立の「要」

 ゆえに読売新聞の社説が「九条改正反対は、大きな時代の流れと現実から目をそらすものだ。共産党や社民党のイデオロギー的な護憲主義と、どこが違うのか、ということにもなる」という指摘がとんでもない時代錯誤であり、参院選挙の結果をみれば一目瞭然であるはず。
 大体、共産党は、「改憲の党」であり、しかも、現行憲法を廃棄し、社会主義・共産主義をめざす憲法と取り換えようと考えている党である。どこが違うのかどころか天地雲泥の差がある。

 また同社説では「民主党も改正には積極的だ。九条問題という、日本の安全保障政策の根幹にかかわる問題で、与党間で対立しているのでは、そもそも、なぜ「連立」なのか、という疑問がぬぐえない」という。
 とんでもない「憲法を改定して、国連の安保理の明確な決議がある場合は、海外での武力行使を可能にし、世界の平和維持には積極的に貢献すべきだ」という岡田党首の考え方は「日本は憲法を改正して、外国では武力行使をする」と聞こえてしょうがない。
 また、国の根幹にかかわる問題に立場の違う自公が連立を組んでいるからこそ、連立政権とともに担う「要党」としての公明党の存在があるわけである。立場が違うからこそ自公というのであって、立場が違わなければ合流すればいい。

●「九条の砦」を築け

 私たちは「公明党の行動する平和主義の正当性と重要性」を訴えて、もっともっと戦っていくべきである。「平和が戦争と戦争の幕間劇でしかなかった人類の歴史を塗り替えるには、あるべき原点を求め、全存在をかけて自分自身を作り替えるほどの覚悟と緊張、実存的決断」(第27回SGI提言)でもって「九条の砦」の断固たる構築に向かわなければならない。

 21世紀を平和と人道の世紀にするために。青い目の人形「コネタ」を真剣な眼でみつめていた豊橋っ子の、輝く未来のためにも。


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