伊藤ひであきの地方からの提言


地方からの年金選挙考      2004.07.19

●「年金100年安心」への不信感

 「今度の年金改革はおかしくない?保険料は上がって、給付は下がるのでしょ。困るのよねー」。こんな趣旨のCMが駆けずり回る車のラジオから何度も何度も流れ、茶の間のテレビから「年金改革法」の強行採決の画面が何度も流れてきた。

 公明党が中心になって、昨年の秋以来まとめあげた「年金100年安心プラン」が「100年持つ制度ではない」との批判がくすぶるなかで参院選は「年金選挙」の様相を濃くし、イラク問題もからみ、一部マスコミもこれに乗って与党への逆風となり、うだるような暑さの中で第20回参議院選は終わった。

 改選議席を1議席後退した自民党とは逆に13議席伸ばした民主党が勝利したとクローズアップされていますが、共産党が減らした議席の分が民主党に回った形となって、自民党にお灸をすえたが、積極的に民主党を支持したわけではないというほぼ五分五分の結果。

 この乱戦の中で、ひたすら「1000万」をめざし大変な思いで駆けずり回ってもぎ取るように積み上げていただいた比例区公明票862万1265票は参院選史上最高、そして予断を許さない状況を正面突破していただいて東京・大阪・埼玉の3選挙区での見事な勝利と公明党は堅調さを見せつけて1議席上乗せという大勝利。支援者の皆様の大奮闘にただただ感謝するばかりです。

 しかし、選挙後の世論調査でも回答者の7〜8割がこの「年金改革法」を「白紙に戻したほうがよい」と答え、参院選が終わって1週間たってもこの論調が納まらない。

●長期持続可能な道筋をひたすらアピール

 そもそも、6月5日に成立した「年金改革法」の本質は何であったのか。「この法案の最大意義は急速に進む少子高齢化のなかで、将来とも暮らせる年金を確保するとともに、最終保険料を定め、今後2017年度まで徐々に保険料(率)を引き上げること、基礎年金の国庫負担割合を2009年度までに段階的に引き上げて2分の1とすることなど、給付と負担の抜本的見直しを行ったことである。この法案成立によって、ようやく長期持続可能で安定的な年金制度の道筋ができ、将来の国民生活保障のための抜本改革となったと考える」(6/6付 公明新聞)との冬芝幹事長の談話が全てである。

 しかし、残念ながら未納問題や、グリンピアや社会保険庁の無駄遣いなどの不毛な枝葉の問題に終始し、肝心の改正法の積極的意義が国会で論議される場面は少なかったし、委員会の採決の姿が「100年持たないから強行採決までして成立させた」とし、出生率1.29の後だし(?)問題や「人生いろいろ」発言が輪をかけ「年金改悪ノー」のイメージが膨らんでいった。

 「参院選にどういう影響が出るかわからないが、さまざまなご批判があろうが、先送りは許されない改革を責任与党として一つ一つやっていく。そこに与党の責任があるということを国民の皆様に訴え、理解をいただくよう努力したい」(6/6付 公明新聞)との神崎代表のインタビュー記事の通り、参院選での公明党の主張はそれこそまっすぐに、ひたむきに「持続可能な『安心の年金』を守ったのは公明党です」と逆風に棹(さお)さすように訴え続けた。

 機関紙公明新聞は連日「年金100年安心プラン」のキャンペーンを張り、現場には、これだけの情報が消化できるのだろうかと思われるくらい年金資料がタイムリーにおりてきた。「年金改革をめぐる民主党の主張の問題点」「これだけある年金改革案への誤解」「年金改革案の疑問にお答えします」と立て続けに・・・。

 「今度の選挙はいろいろ跳ね返えされて辛かったけど、でも言い切らなければ悔いを残すからと懸命に頑張ったのよ。選挙が終わってから『あんたら公明党の三役そろって未納はなによ』と反発していた人も『応援したよ』と電話くれたのよ」と嬉しそうに話してくれた老婦人の笑顔が忘れられない。
 私自身、職場で、地域で汗でグシャグシャになった模造紙を使って「ミニ年金教室」をクタクタになるまでやりつづけた。街頭演説で訴え続けた。

●捨てきれない甘い幻想、認めがたい負担増

 今度の年金改革は緩やかであっても「負担は多く、給付は少なく」なることは明白であり、このことは国民の生活に生々しく直結する。しかし、少子高齢化が進んでいる以上、どんな年金改革であっても、支える側の保険料負担は増え、もらえる側の給付水準は下がるという点は避けられない。重要なのはどのような考えに立って年金改革をするかです。公明党案がベースとなっている政府案はどこまでも将来とも持続可能で、あくまでも大多数の庶民の側に立った改革案なのです。(資料:年金改革案への誤解より)

 国と地方の借金が700兆円を超えている事も、急速な少子高齢化社会が押し寄せていることも誰の目にもあきらか、バブルがはじけ右肩下がりの経済社会に入ったことも実感できるし、団塊の世代が年金をもらう側に移るのも時間の問題であることも明白、改革が先送りされたら単年度だけでも4.7兆円のマイナス、そのうえ450兆円の年金債務の現実・・・。
 もはや将来甘い夢や幻想を描くことは不可能なのだ。だから国民は負担増はやむを得ないと考え始めているが、それでもその甘い幻想を捨てきれないでいる。「負担はより低く、給付はより多くといったこれまでのよう無責任なばらまきには、もはやだまされないぞ」と戒めながらもである。
 ベストセラーになった「市場主義の終焉」や「年収300万円時代を生き抜く経済学」という本を「時代に遅れてはならじ」と急いで手にして読みふけっていても、それでもなお・・・・。

 この問題を考えるときに、今日の日本が歴史上まれにみる豊かな大国だという事実を無視することはできない。一人あたり国民所得は今も経済協力開発機構(OECD)諸国で五番目(2002年)。個人金融資産は1400兆円に達する。バブル崩壊後も、国際的に高水準の日本の賃金はなかなか下がらず、失業率が跳ね上がることもなかった。
 デフレは生活コストを引き下げ消費を潤した。家族全員が携帯電話を持ち、車が2、3台ある家庭は珍しくない。休暇ごとに成田空港は海外旅行客であふれる。かつてこれほど豊かな光景が世界にあっただろうか。

 「人間はいったんぜいたくを知ったらなかなか生活水準を下げられない。国民の大多数は『今の豊かさがいつまでも続く』と信じ、老後の生活を現在の延長上に思い描く。その未来設計を踏みにじる年金改革に敏感に身構えたとしても不思議はない。(7/18 日経)

 この矛盾した人間の裏腹の現実が今回の参院選の結果に現れたのではないのだろうか。

●財政再建に魔法の杖はない

 「改革は国民に幻想のむなしさを説き覚悟を迫り、幻想を生んだ仕組みを壊す作業だ」(7/18日経)とするなら、ひたむきな確信を持って本質を訴え続けた公明党が堅調に勝利したのが今回の参院選ではなかったのか。

 この良識革命に走り続ける人たちに支えられている公明党の議員であることを「感謝」の二文字とともに深く深く命に刻まなければならない。

 来年は介護保険、そして再来年には医療制度を大幅に見直す日程が明確になっている。地方財政も正念場に入っている。我が豊橋においても、シビアに見積もった今年度交付税予算はそれでもなお25億円の減額が7月5日に内示された。
 財政再建に魔法の杖はない。負担増はますます避けられない。納税者の同意を得るには歳出に無駄がないことと負担増が公平であることが絶対条件である。

 私たち公明党がめざす「生活者の政治」とは幻想を捨て、この本質を見据えた上に、豊な人間主義の花を咲かせるための社会条件を大地にしっかりと整える作業ではないのかと痛感した参議院選でした。

 最後に社会保険庁長官に損保ジャパン副社長の村瀬清司氏が起用されることになった。かって岐阜県立大垣北高校のグランドで白球を追って青春の汗を流していた村瀬氏の登用を心から喜び、「国民生活の安定と安心に直結する、極めて重要な仕事に今後の人生をかけて取り組む」(内定時の村瀬氏の談話)との村瀬氏の大奮闘を心から期待したい。
 同じグランドでサッカー部のゴールキーパーだった自分はこの豊橋の地で庶民の守り手としてこの道をまた人生をかけて歩んでいこうと決意する日々です。


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